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広報大塚です。
令和元年の台風15号被害で千葉県の鋸南町での災害ボランティアに入られたメンバーの方のご感想をアップいたします。
鋸南町で自分が一人で作業をしている一週間の前半に、二日間一緒に作業に入っていただき、災害VCの移転の時期にも重なったので、とても心強かったですし、お世話になりました。

下にアップした写真は、宿泊施設の外観と、敷地内のサッカー場。そして施設の目の前に広がる青い海です。

 

◎10月1日火曜日
朝いちで電車を乗り継いで、内房線の安房勝山まで。車窓から見える家々にはブルーシート。台風15号の風速60メートルの被害はかなり激しい。
昼前に鋸南町役場に設けられたボランティアセンターに顔を出し、そのまま作業に入る。被災からのニーズをPCに入れていく作業が続く。停電のせいか何なのかは不明だが、重なっているニーズ用紙も多く、発生当時の混乱がうかがえる。整理しながら作業を続ける。
被災地では、全国から集まってくれるボランティアたちの頭数も重要だが、こうしたバックヤードで支えるボランティアセンターの運営の人たちの作業も重要なのである。そんなことを考えながらの作業が続く。
夜、鋸南町の社会福祉協議会の人たちとのミーティング。この日、今日なん街に入ったばかりで詳しい事情は分からなかったが、職員の方々の「やる気」のなさが気になった。言葉の端々に、ボランティアセンターを早く縮小したい様子がうかがえる。
ボランティアセンターを仕切る社会福祉協議会。地域社会では。介護、障碍者、シングルマザー等々、社協の役目が増えていることは間違いない。特に地方では、高齢化も進み、より仕事が増えているのだろう。日常の業務もあり、なるべく早くそちらに戻りたいのだろう。
でも、災害対応も彼らの重要な仕事。もっと前向きに取り組んでほしいと正直も持った。
おそらく鋸南町だけの問題ではないのだろう。社協の役目を再考し、どう支えていくかも、災害多発の時代には問われているのかもしれない。

10月2日水曜日
一般のボランティアは休み。この日は、ボランティアセンターを役場の議員控室から、保田という隣の駅近くに引っ越す作業を手伝う。軽トラで荷物を運び、なんども往復する。
毎年のように発生する大規模災害。去年の西日本豪雨の被災地では、今も復旧作業は続く。そして今年は佐賀でも水害が起きた。となると、ボランティアセンターを運営する人たちの頭数も当然のことながら足りなくなる。
被災した人たちに全国から集まってくるボランティアが柔軟に手を差し伸べていくためには、バックヤードの充実があってこそ。
最近の相次ぐ災害では、それが足りていない。ボランティアセンターの運営に従事する人たちをどう育てていくか。それも今、社会全体で考えていかなければいけないこと。そんなことをブツブツと考えながら、軽トラを運転。夕方、作業を終え、金谷から東京湾フェリーに乗って帰京。対岸の景色は普段通り。会社帰りの人たちが家路を急いでいる。わずか船で40分の距離なのに、あまりにも空気感が違うことに、不思議な感覚に襲われる。

皆さま、寒暖差で体調など崩されていないでしょうか。
ユニコン広報大塚です。
昨年の災害ボランティア活動にご参加いただいた方のご感想をアップしておりますが、今回は令和元年台風15号の被災地、千葉県富津市での活動のご感想です。

 

まずは富津ボラセンの感想から。運営がきちんと組織化されていて、休日でたくさん訪れるボランティアをスムーズに受け入れていました。

最初のマッチングで行った現場は、自宅の敷地内に物置のようなものが飛んできた(この家のもの?)高齢者宅。物置の解体と撤去という依頼でしたが、手持ちの工具では解体できず。。事情を依頼主に説明してボラセンに帰り、引き継ぎのための報告を済ませました。現状報告のために現場で撮った写真はwebを介してアップロードできるようになっており、ここでもスムーズなインフラに関心させられました。
時間があったので、2回目のマッチングを受けることにしました。次の現場はチェンソーを使って倒木を切るボランティアさんのアシスタントでした。

お宅の前には川が流れてており目の前の山が崩れて土砂が川を覆ってました。。初めて目の前でみるチェンソーの作業は正直怖いものでしたが、安全防具装着の上慣れている方が作業すると、やはり短時間でたくさんの倒木を切ることができました。特殊作業ができるボランティアさんが頼もしくも羨ましく映りました。アシスタントである僕らは、切られた倒木をまとめたり、枝木をノコギリでカットし細かくして捨てやすくする作業を行いました。依頼者宅のお庭にあった小さな倒木のみ、僕が真備町より授かった丸ノコで切ることができたので、その点では少しは貢献できたのかなと思います。真備の皆さんから寄付していただいた作業後、鋸南町のボラセンに寄付させていただきました。作業後は鋸南町ボラセン(当時)の近くにあるお風呂へ。。ボランティアスタッフは無料で利用することができました。

風害の被災地は初めて見ましたが、被害にあった住宅のほとんどは一部損壊、半壊など。全壊よりも保障等の判断基準が難しいと言われます。今後は現場作業だけでなく鋸南町ボラセンの運営のお手伝いもできたらなと考えております。

昨年の活動をアップしています。
今回は、佐賀県武雄市での、三城理事長の活動の感想をアップいたします。

 

◎昨年10月、真備町から石巻市にシェアリングカーを移動させるお手伝いをしたように、真備から佐賀県の武雄市にシェアリングカーを移動させました。佐賀の水害で車が不足しているのを補うために、日本カーシェアリング協会さんが現地に乗り込んでいるのです。朝10時、「パパラん家」のボランティア作業をする人たちは、この日午前中は、僕も昨年作業に入ったMさん宅(というか店舗)で地元の方との茶話会を開くというので、茶話会に必要な道具の運搬や人のピックアップのお手伝いをしてから、佐賀に向かいました。

Mさん宅には昨年、二日ほどしか作業に入っていなかったにも拘らず、しかも延べ人数にすると相当大勢の人が入っていたにも拘らず、ちゃんと覚えていてくださり感慨深かったです。佐賀に向かう僕を店頭から深々と頭をさげて見送って下さった姿が忘れられません。

真備から佐賀までの道はほぼほぼ渋滞もなくスムーズでしたが、やはり軽車両ためか結構時間が掛かりました。武雄市に着いたのは18時でした。熊本や朝倉に支援で入っていた時は東京から16、7時間かけて運転しており、丁度真備の辺りが中間地点のため、そこから九州までは結構近く感じていたのですが、やっぱり中々の距離でした(笑)その車は早速、翌日からシェアリングカーとして活躍したそうで良かったと思います。

翌日は武雄市でボランティア作業をしました。佐賀県では、油の流出した大町と武雄の被害が大きく、この両地域には、県内で同じく被災したにも拘らず収拾の目処がたったという地域の方々が「他人事と看過できない」と多く通っていらして、社協の運営する災害VCは受付開始の一時間前に、その日の作業定員に達してしまうという感じでした。その社協のVCの横に民間のVCがあり、定員に達してしまった場合はそこでボランティア活動が出来るようになっています。

この民間災害VCは「おもやいボランティアセンター」といいます。武雄市北方の自治的組織が立ち上げ、NPOが運営のサポートに入っています。行政とも連携を取っているので、高速道路無料化のスタンプなどもいただけました。この日の作業は、軽トラ3台、作業員用ワゴン1台でキャバンを組んで家外に搬出されている町中の被災物を回収、地区の仮置き場に運搬・分別するというものでした。浸水で使用不能になった家財のほか、内水氾濫によって敷地内に堆積しまった土砂をつめた土嚢などがありました。上記の車両で丸一日かけて完了できましたが、床板を剥がし始めているお宅なども作業中見かけたので、まだまだ、今後も多くの運搬物は出てきそうな気配を感じました。VCに戻ると、マスコミで一躍注目を集めたスーパーボランティアの尾畠さんが、若い女性ボランティアのリクエストに応えて、写真撮影をしていました。このようなことがきっかけでも災害ボランティアに関わる人が増えるといいなぁと微笑ましい気持ちになりました。

NPO法人と地元有志で運営している「おもやいボランティアセンター」

2019年9月に行われた岡山県倉敷市真備町での災害ボランティア、4名の方にご感想をいただきました。
これまで3名の方の感想をアップさせていただきましたが、最後のお一人になります。

文中に登場する「パパラ」さんとは、書家として活動している方で、被災地に長期滞在をされて災害ボランティアを継続されている方です。
真備町のボランティアでは、パパラさんが活動をされる被災者のお宅で作業をさせていただきました。

以下、ご感想です。

◎今回、真備は一日しかいられなかったのですが、思い出深いものになりました。今年の春以来ですが、宿泊は「パパラの家」に厄介になりました。相変わらず地元の人が、出たり入ったりして賑やかです。岡山市内から料理を作りに来てくれるジャックさん、今回は「重ね煮」のタネにした餃子でした。そして、たくさんの炊き込みご飯を持ち寄ってくれたミキちゃん。今回は連休だったのでボランティアさんも多く、県外から5名の人がやってきて泊まっていました。あ、作業のこと全然書いてないですね(苦笑)作業はパパラさんが4か月近く、一人で作業する日も多い中、コツコツと清拭作業を続けていたFさんのお宅に入り、最後の柱磨き、床磨きを行いました。振り返ると本当に気の遠くなるような作業ですが、多くのボランティアさんが、ちょっとづつでも参加してタスキをつないだそんな案件です。みんな一日黙々と、ブラシ、タオル、歯ブラシを使って木地にしみ込んだ汚れを浮かせてふき取る作業をしていました。この地道な作業をずっと真備に根を張って続けてきたパパラは本当にすごいと思います。(パパラさんは堺の人です)だから、地元の人にも遠くからやって来るボランティアさんにも愛されているんだと思います。実はこの日の夕食時、パパラさんは作業で入っていたお宅のリフォーム完成祝いにお呼ばれしていて、家主のパパラさんがいないのに皆で酒宴を張っていました。家主不在なのに、ジャックさんミキちゃん以外にも地元の方が2人やってきて、パパラさんが帰ってくるまで、お酒を飲んで待っています。被災当初、どのようにしてボランティアキャンプサイトを行政に交渉したかなど貴重な経も伺うことが出来ました。そんな「パパラん家」も10月をもってクローズとなるそうです。真備が落ち着きを取り戻して来ている証拠ではあると思うのですが、正直なんかちょっと寂しい気持ちになります。毎年、気仙沼に訪れるきっかけがあるように、真備にもそういう「場」が出来るといいなぁと本当に思います。

広報の大塚です。
2019年、ユニコンでは多地域でボランティア作業をいたしました。皆様のご参加に感謝しております。
昨年は台風被害による災害ボランティア作業を、千葉県、神奈川県、長野県、福島県で実施いたしましたが、一昨年の水害による岡山県倉敷市でも引き続き人手を必要としておりました。
そして、昨年9月にはユニコンメンバーの方々が岡山県で作業をされました。

その時にいただいたご感想を今回アップさせていただきます。

 

◎第2タームで当日現地集合の形をとり、いつもは ユニコンの方と一緒なのですが、今回は初対面の皆さんと四人で作業しました。
私が参加した日は前日までの力仕事が一段落し、ついに最終段階の細やか黙々作業.取り外した欄間の清掃でした。和室の上部のものと室内仕切り襖で障子の代わりにガラスが入っているものが大小十数枚。
作業前にホームセンターで歯間ブラシなど購入。
世話役のパパラさん「僕たちも全ての作業に精通してるなんてことはなくて、いつも、これどうするん?みたいな新しい展開を迎えるわけですよ」と話され、実際 作業中に “ココこうするとこんなん出来るやんかー!”という嬉しい発見がありました。
作業に入ったお家は 東京では 古民家 と言われるような 立派なお宅。柱や梁は 今では簡単に手に入らない上質な木材や 石材 を使われていました。
9月中旬、真備地区からも佐賀や千葉の方に沢山のボランティアの方が行かれたとのこと。かの地では今日のトイレもままならない状態を考えると、ボランティアで欄間の清掃…?と思われるかもしれません。しかしながらここまで細やかに対応された例として今回の真備での作業に参加させていただけて良かったと思っています。遠慮がちな高齢者の方に何度もローラー作戦でニーズを掘り起こし、自分のことは「みんな大変だから」と話さないので「困っていることはないですか」ではなく「困ってる方をご存知ないですか」と聞く。
日本のどこかで常にボランティアセンターが設置されている様になってきました。各地で違いや差がついてしまっては困る。でも実際、どこの自治体でもほとんど初めての経験なんですよね。クオリティの高かったケースはどんどん共有されていくといいのに。そんなことを思いながら リクエストして吉備真備駅まで送ってもらい記念写真を撮り帰路につきました。


真備町での作業の様子。

広報の大塚です。
2019年、平成31年、令和元年が本日で終わります。
「UNION号による災害ボランティア」が、その8年間の活動を基に、「NPO法人チーム・ユニコン」へと変化を遂げた年であるとともに、「自然災害」の脅威を突き付けられた一年間に思えます。

前回に引き続き、本年10月の神奈川県川崎市の災害ボランティアのご感想をアップいたします。

来年も「NPO法人チーム・ユニコン」をどうぞよろしくお願いいたします。

 

◎10/23  川崎 台風19号による豪雨によって内水氾濫が発生したエリアで地下室が浸水したお宅での家財の片付けの作業を実施。都市部の住宅街の中でもこのような被害が発生し、しかもほんの数m・数十cmの標高の違いで被災したエリアと全く被災しなかったエリアとが隣り合っている光景にショックを受けたが、ちょっとした高低差が被害の有無を分けることがわかり、様々な情報から被害の可能性について調べておくこと、備えをしておくことが必要と感じた。
作業したお宅よりわずかに離れた標高が低いエリアではより大きな被害を受けていたようだが、復旧がなかなか進まない上に不満を吐き出せるところがなかなか見つからない状況、さらには非常に限られたエリアだけで被害が発生していることがその不満を大きくしているを実感させられる場面もあり、依頼者のみならず周囲の方に寄り添ったボランティア活動、ということの難しさも実感した。都市型の災害の一つの特徴のようにも感じ、同様に都市部で災害が起きた時にはこのようなことも考えていかないといけないと感じた。

広報の大塚です。

台風19号被害による神奈川県川崎市の災害ボランティア作業に携わった三城理事長の感想をアップいたします。

世田谷区もそうですが、都心部ならではの状況、そしてそれによる数々の問題を意識させられます。

 

~川崎参加感想~

つなぎ姿の男3人が、出勤するサラリーマンの波が押し寄せる武蔵中原の駅で待ち合わせて、駅前のビルの中の6階にある災害VCに向かいます。何事もなかったように都会の日常が僕らの横をすり抜けていきます。今までにない不思議な感覚です。これまで訪れた被災地でも、全壊家屋とほぼ無傷の家屋が一本道路を挟んで存在するというような画は見てきました。でも、それとは違う違和感です。

僕は2日作業しました。初日は水没した地下室から被災物を搬出する作業。都会ですから広い庭もほとんどありません、車がギリギリすれ違えるくらいの住宅街の道は各家庭から運び出される被災物であっという間に埋まってしまいます。横浜清掃局から応援派遣されているゴミ収集車が、そうならないように2、3台で巡回し、次々被災物を飲み込んでいきます。川崎市の対応に不満を述べている被災者の方がいましたが、このような連携が出来ているのはなかなかだなぁと思いました。2日目は床下の泥の掻き出し、消毒でした。昨年の真備で学んだことを生かして作業することが出来ました。

初日のお宅も二日目のお宅も、これから1年近く清拭のようなメンテナンスをして、リノベーションすると運びになると思いますが、その地道な作業を住人の方だけでやるというのは気の遠くなるようなことです。勿論、僕らも引き続きお手伝いに入りたいと思いますが、地元自治会でどんどん共助を進めて欲しいと思います。こういうところからコミュニティの力を意識的に強化していかないと首都直下型地震には対応できないと危惧します。VCにも駐車場がなく、被災者宅付近にも車を止めるスペースがコインパーク以外、十分にないなど、都市型の災害対応の問題点を垣間見た気がしました。

広報の大塚です。

台風15号被害で千葉県安房郡鋸南町に10日間滞在しながら災害VCの運営支援を行ったときの三城理事長の感想をアップいたします。

理事長の業務を引き継ぎ自分が一週間この地に滞在したのですが、その間の災害VCの移転、そして予想外のトラブル等、一朝一夕には語れない、色々な意味で忘れられない日々でした。

 

~鋸南参加感想~

泊まり掛けで4日間、鋸南町災害VCの運営のお手伝いをしました。いままで数年のボランティア経験を生かして、現地調査などでお役に立てればと思っていたのですが、被災者の方から寄せられたニーズのデータ整理のお手伝いをすることになりました。

丁度、僕がお手伝いに入った時分、一般ボランティアでは対応しきれない特殊作業の案件を、災害VCでマッチングするプロボノ以外に、自衛隊に依頼したり、行政経由で建築業界ボランティアに委託し始め、復旧復興の迅速化を図っていました。その分データの管理が複雑化していたのです。ニーズ票の記載事項・進捗などをPCのデータベースに入力し原本をファイリングするという、言葉にするといかにも単純な作業ですが、1つのニーズ票に一般ボランティアで対応できる案件と特殊案件が混在している場合もあります。特殊案件も、屋根にブルーシートを掛ける高所作業、崩れた大量の土砂を撤去する重機作業、倒木の伐採のためのチェーンソー作業など多岐に亘ります。ニーズの受付を開始した当初にはそのような分業が生じることは想定されていなかったため、データの確認分類を遡ってする必要が生じていました。また、作業のアウトプットが多岐になったため、進捗の把握が複雑化していました。なかなか大変なデータ整理です。一朝一夕にはかたづけられません。4000件近いニーズ票があるのです…また、さまざまなところから、復興の進捗状況、ボランティア参加数などの日報なども求められます。勿論、状況を客観的に把握するということはとても大事なことです。ただ、正直そのような静的なデータを抽出する前にやらなければいけないことが沢山あるのです。お国の偉い人が被災地視察に来るとかえって現場が混乱するという話を思い出しました。

さらに、泣きっ面に蜂というのはこのことで、町役場に間借りしていたVCを社協の施設に移転するという引っ越しが4日後に控えています。データ整理のフローとポリシーをざっくりと聞いて、あとはともかくやりながら聞きながら、ともかくスピード第一で進めるしかないと肝を据えました。

いろいろ、予想もしないトラブルも重なり、結局、僕の滞在期間でデータの整理を完結することは出来ませんでした。これだけ、毎年災害が起こっているので、このあたりのデータ管理ソフトなど開発してもいいのではないか、というか、商用としては採算的に厳しいと思うので、是非公費で作成するべきだと思いました。標準ソフトがあれば、どの地方で災害が起こっても、一度触った事ある人は即戦力として大きな力を発揮できる訳ですから。

国土強靭化というのは何もハード面だけではないと思うので、検討してほしいと思います。

鋸南町の様子最初の 災害VCがあった鋸南町役場災害VCの移転先の鋸南町社会福祉協議会

広報の大塚です。
台風15号被害による千葉県木更津市・館山市・鋸南町・富津市の災害ボランティア作業をされたメンバーのご感想をアップいたします。

千葉県南部を中心に大きな被害をもたらした台風15号の被害状況は、ニュース等を見ていてもすぐには全容を確認することができず、被災状況の大きさは時間とともに少しずつ分かってきました。しかしやはり実際にその土地を訪れないと分からないこともたくさんあり、その様な状況の中で、三城理事長が千葉県南部のVCのヒアリング及びボランティア作業をされたときの感想です。

◎5日間かけて、9地域の災害VCを回って状況のヒアリングをしつつ、4ヵ所の災害VCで作業に従事しました。

一番強く感じたのは、東日本震災以降、熊本・朝倉などで完成形に近づいたと感じられたVC運営の継承があまりうまく出来ていないということでした。最も効率的な運営をしていた富津市のVCでさえ、資機材は十分でなく、やはり激甚災害認定を受けると受けないでは雲泥の差だということを感じさせられました。被災家屋の補償認定などもそうですが、このあたりの線引きというのは残酷です。ただ、ここで要件を緩和すると、いままでの災害時に同等規模の被災をした地域、家屋にも同様の手当てをしなかったこととの整合性が取れなくなるというジレンマがあるようです。そのあたりの事情がボランティア作業に大きく影響して来ていました。

ニーズのマッチングをして現場に向かうのですが、到底ボランティアには出来ない作業であったり、ニーズ表に書かれている人数では無理であったり、特殊な資材が必要なんだけれどそれがなかったり、といった具合の「空振り」が半数以上を占めていたのです。

これはどこかのVC固有の問題という訳ではなく、どのVCでも見られました。ニーズに受付・即マッチングというシステムが生み出す悲劇だと思います。やはり現調(現地調査)をして人員と資機材の適正な配置をするということが本当に大事なのだと思いました。(そのためには中長期的にも運営に携われる人、地元に強い人が必要だということも)また、屋根のブルーシート張り講習会や倒木のチェーンソーによる解体などのお手伝いなど、特殊技術の必要な作業にも携わることが出来、大変貴重な経験をしました。

この経験を今後の千葉の支援活動に生かし、NPOの運営に生かせるように頑張らなければと身の引き締まる思いがしました。

話は自分のボランティア活動とは直接関係のないことになりますが、ひとつ千葉で感じたことを最後に書きたいと思います。それは木更津で見た光景についてです。被災直後から停電が解消されるまで、大変な非難を浴びることが大きかった電力関係ですが、朝方6時台のコンビニには、全国の電力会社から派遣された電力マンの方々でごった返し、サンドイッチをかじりながら次々と現場に向かっていく姿をみると、報道だけでは伝わらなプロの矜持というものが確かにあると感じさせられました。


千葉県安房郡鋸南町の様子

広報の大塚です。
台風19号被害による神奈川県川崎市の災害ボランティア作業をされたメンバーの方のご感想をアップさせていただきます。
台風15号のときの、千葉県の災害時にも感じたことですが、神奈川県川崎市や東京都世田谷区の災害は、普段訪れているほど近い場所だっただけに、その被害の大きさへの驚きとともに、あらためて、災害を「わがこと」として認識をいたしました。

 

◎10月23日水曜日。

朝、川崎市の武蔵中原駅に集合。すぐ前のボランティアセンターに顔を出す。多摩川沿いのお宅にうかがう。

台風19号で近くの川の水が溢れ、地下室が完全に水没。濡れた家財を地上に運び出す。被災から10日あまり。地下室のにおいがすごい。30分も作業をすると頭がクラクラしてくる。頭から泥水をかぶりながら作業。途中、応援の人たちも加わり、なんとか地下室の家財一式を運び出す。

とにかく水害対応はスピードが求められる。早くキレイにしないと、カビやにおいは日増しに悪化していく。

住人は、この上の階に住んでいるのである。彼らの健康のためにも素早い対応が求められている。

隣町の横浜から来ているというごみ収集車の活躍が印象的。とにかくあの手、この手で早めの作業が求められる。

10月24日木曜日。

2日連続。川崎市でボランティア作業。今回は、民家の床下の清掃。床下にこびりついた泥を助教する作業を淡々と進める。前日と違い、ニオイもないし、力仕事でもない。でも途中から腰が痛くなる。もう若くはない。作業を終えて、電車で帰宅。まだ午後5時すぎ。

こんな近くで水害が発生しているのだ。そのことに驚く。川崎の人たちも、世田谷の人たちも、まさか自分の家が…と思っていたに違いない。都市だろうと、地方だろうと、災害は突然やってくる。災害が多発する時代になってしまったのである。あらゆる災害は他人事ではないのだろう。そのことを実感。