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広報の大塚です。

台風19号被害による神奈川県川崎市の災害ボランティア作業に携わった三城理事長の感想をアップいたします。

世田谷区もそうですが、都心部ならではの状況、そしてそれによる数々の問題を意識させられます。

 

~川崎参加感想~

つなぎ姿の男3人が、出勤するサラリーマンの波が押し寄せる武蔵中原の駅で待ち合わせて、駅前のビルの中の6階にある災害VCに向かいます。何事もなかったように都会の日常が僕らの横をすり抜けていきます。今までにない不思議な感覚です。これまで訪れた被災地でも、全壊家屋とほぼ無傷の家屋が一本道路を挟んで存在するというような画は見てきました。でも、それとは違う違和感です。

僕は2日作業しました。初日は水没した地下室から被災物を搬出する作業。都会ですから広い庭もほとんどありません、車がギリギリすれ違えるくらいの住宅街の道は各家庭から運び出される被災物であっという間に埋まってしまいます。横浜清掃局から応援派遣されているゴミ収集車が、そうならないように2、3台で巡回し、次々被災物を飲み込んでいきます。川崎市の対応に不満を述べている被災者の方がいましたが、このような連携が出来ているのはなかなかだなぁと思いました。2日目は床下の泥の掻き出し、消毒でした。昨年の真備で学んだことを生かして作業することが出来ました。

初日のお宅も二日目のお宅も、これから1年近く清拭のようなメンテナンスをして、リノベーションすると運びになると思いますが、その地道な作業を住人の方だけでやるというのは気の遠くなるようなことです。勿論、僕らも引き続きお手伝いに入りたいと思いますが、地元自治会でどんどん共助を進めて欲しいと思います。こういうところからコミュニティの力を意識的に強化していかないと首都直下型地震には対応できないと危惧します。VCにも駐車場がなく、被災者宅付近にも車を止めるスペースがコインパーク以外、十分にないなど、都市型の災害対応の問題点を垣間見た気がしました。

広報の大塚です。

台風15号被害で千葉県安房郡鋸南町に10日間滞在しながら災害VCの運営支援を行ったときの三城理事長の感想をアップいたします。

理事長の業務を引き継ぎ自分が一週間この地に滞在したのですが、その間の災害VCの移転、そして予想外のトラブル等、一朝一夕には語れない、色々な意味で忘れられない日々でした。

 

~鋸南参加感想~

泊まり掛けで4日間、鋸南町災害VCの運営のお手伝いをしました。いままで数年のボランティア経験を生かして、現地調査などでお役に立てればと思っていたのですが、被災者の方から寄せられたニーズのデータ整理のお手伝いをすることになりました。

丁度、僕がお手伝いに入った時分、一般ボランティアでは対応しきれない特殊作業の案件を、災害VCでマッチングするプロボノ以外に、自衛隊に依頼したり、行政経由で建築業界ボランティアに委託し始め、復旧復興の迅速化を図っていました。その分データの管理が複雑化していたのです。ニーズ票の記載事項・進捗などをPCのデータベースに入力し原本をファイリングするという、言葉にするといかにも単純な作業ですが、1つのニーズ票に一般ボランティアで対応できる案件と特殊案件が混在している場合もあります。特殊案件も、屋根にブルーシートを掛ける高所作業、崩れた大量の土砂を撤去する重機作業、倒木の伐採のためのチェーンソー作業など多岐に亘ります。ニーズの受付を開始した当初にはそのような分業が生じることは想定されていなかったため、データの確認分類を遡ってする必要が生じていました。また、作業のアウトプットが多岐になったため、進捗の把握が複雑化していました。なかなか大変なデータ整理です。一朝一夕にはかたづけられません。4000件近いニーズ票があるのです…また、さまざまなところから、復興の進捗状況、ボランティア参加数などの日報なども求められます。勿論、状況を客観的に把握するということはとても大事なことです。ただ、正直そのような静的なデータを抽出する前にやらなければいけないことが沢山あるのです。お国の偉い人が被災地視察に来るとかえって現場が混乱するという話を思い出しました。

さらに、泣きっ面に蜂というのはこのことで、町役場に間借りしていたVCを社協の施設に移転するという引っ越しが4日後に控えています。データ整理のフローとポリシーをざっくりと聞いて、あとはともかくやりながら聞きながら、ともかくスピード第一で進めるしかないと肝を据えました。

いろいろ、予想もしないトラブルも重なり、結局、僕の滞在期間でデータの整理を完結することは出来ませんでした。これだけ、毎年災害が起こっているので、このあたりのデータ管理ソフトなど開発してもいいのではないか、というか、商用としては採算的に厳しいと思うので、是非公費で作成するべきだと思いました。標準ソフトがあれば、どの地方で災害が起こっても、一度触った事ある人は即戦力として大きな力を発揮できる訳ですから。

国土強靭化というのは何もハード面だけではないと思うので、検討してほしいと思います。

鋸南町の様子最初の 災害VCがあった鋸南町役場災害VCの移転先の鋸南町社会福祉協議会

広報の大塚です。
台風15号被害による千葉県木更津市・館山市・鋸南町・富津市の災害ボランティア作業をされたメンバーのご感想をアップいたします。

千葉県南部を中心に大きな被害をもたらした台風15号の被害状況は、ニュース等を見ていてもすぐには全容を確認することができず、被災状況の大きさは時間とともに少しずつ分かってきました。しかしやはり実際にその土地を訪れないと分からないこともたくさんあり、その様な状況の中で、三城理事長が千葉県南部のVCのヒアリング及びボランティア作業をされたときの感想です。

◎5日間かけて、9地域の災害VCを回って状況のヒアリングをしつつ、4ヵ所の災害VCで作業に従事しました。

一番強く感じたのは、東日本震災以降、熊本・朝倉などで完成形に近づいたと感じられたVC運営の継承があまりうまく出来ていないということでした。最も効率的な運営をしていた富津市のVCでさえ、資機材は十分でなく、やはり激甚災害認定を受けると受けないでは雲泥の差だということを感じさせられました。被災家屋の補償認定などもそうですが、このあたりの線引きというのは残酷です。ただ、ここで要件を緩和すると、いままでの災害時に同等規模の被災をした地域、家屋にも同様の手当てをしなかったこととの整合性が取れなくなるというジレンマがあるようです。そのあたりの事情がボランティア作業に大きく影響して来ていました。

ニーズのマッチングをして現場に向かうのですが、到底ボランティアには出来ない作業であったり、ニーズ表に書かれている人数では無理であったり、特殊な資材が必要なんだけれどそれがなかったり、といった具合の「空振り」が半数以上を占めていたのです。

これはどこかのVC固有の問題という訳ではなく、どのVCでも見られました。ニーズに受付・即マッチングというシステムが生み出す悲劇だと思います。やはり現調(現地調査)をして人員と資機材の適正な配置をするということが本当に大事なのだと思いました。(そのためには中長期的にも運営に携われる人、地元に強い人が必要だということも)また、屋根のブルーシート張り講習会や倒木のチェーンソーによる解体などのお手伝いなど、特殊技術の必要な作業にも携わることが出来、大変貴重な経験をしました。

この経験を今後の千葉の支援活動に生かし、NPOの運営に生かせるように頑張らなければと身の引き締まる思いがしました。

話は自分のボランティア活動とは直接関係のないことになりますが、ひとつ千葉で感じたことを最後に書きたいと思います。それは木更津で見た光景についてです。被災直後から停電が解消されるまで、大変な非難を浴びることが大きかった電力関係ですが、朝方6時台のコンビニには、全国の電力会社から派遣された電力マンの方々でごった返し、サンドイッチをかじりながら次々と現場に向かっていく姿をみると、報道だけでは伝わらなプロの矜持というものが確かにあると感じさせられました。


千葉県安房郡鋸南町の様子

広報の大塚です。
台風19号被害による神奈川県川崎市の災害ボランティア作業をされたメンバーの方のご感想をアップさせていただきます。
台風15号のときの、千葉県の災害時にも感じたことですが、神奈川県川崎市や東京都世田谷区の災害は、普段訪れているほど近い場所だっただけに、その被害の大きさへの驚きとともに、あらためて、災害を「わがこと」として認識をいたしました。

 

◎10月23日水曜日。

朝、川崎市の武蔵中原駅に集合。すぐ前のボランティアセンターに顔を出す。多摩川沿いのお宅にうかがう。

台風19号で近くの川の水が溢れ、地下室が完全に水没。濡れた家財を地上に運び出す。被災から10日あまり。地下室のにおいがすごい。30分も作業をすると頭がクラクラしてくる。頭から泥水をかぶりながら作業。途中、応援の人たちも加わり、なんとか地下室の家財一式を運び出す。

とにかく水害対応はスピードが求められる。早くキレイにしないと、カビやにおいは日増しに悪化していく。

住人は、この上の階に住んでいるのである。彼らの健康のためにも素早い対応が求められている。

隣町の横浜から来ているというごみ収集車の活躍が印象的。とにかくあの手、この手で早めの作業が求められる。

10月24日木曜日。

2日連続。川崎市でボランティア作業。今回は、民家の床下の清掃。床下にこびりついた泥を助教する作業を淡々と進める。前日と違い、ニオイもないし、力仕事でもない。でも途中から腰が痛くなる。もう若くはない。作業を終えて、電車で帰宅。まだ午後5時すぎ。

こんな近くで水害が発生しているのだ。そのことに驚く。川崎の人たちも、世田谷の人たちも、まさか自分の家が…と思っていたに違いない。都市だろうと、地方だろうと、災害は突然やってくる。災害が多発する時代になってしまったのである。あらゆる災害は他人事ではないのだろう。そのことを実感。

広報の大塚です。
ユニオンの災害ボランティア活動にご参加された皆様のご感想をアップさせていただいています。
台風15号、19号の被災地である千葉県君津市で、本年10月に活動をされた方のご感想です。
千葉県南部の山間部は倒木の被害も多く、チェーンソー作業が可能なプロボノさんと一般のボランティアさんの協力のもとに作業が行われていました。
ご感想を読んでいて、とても臨場感があり、作業のご様子が想像できました。ご感想本当にありがとうございます。

◎2019/10/27(日) 君津ボランティア報告

二回にわたる大型台風、そして台風でもないのに記録的豪雨。千葉がひどいことになっている。
とりあえず一度、行ってみなくては、と思った。
たまたま同じ神奈川在住のボランティアスタッフの方が車を出して下さることになり、川崎駅でもう一人拾い、アクアラインを通って君津へ。
アクアラインはまさかの事故渋滞、君津ボランティアセンターの到着が予定より遅くなったものの、その分、受付は妙に空いていてスムーズにマッチングされた。
マッチングとは、ボランティアによるお手伝いを申し込まれたお宅に対して、当日センターに集まってきたどのボランティアスタッフを送り込むかを結合する作業。

指示されたのは、既に三名が送り込まれているが、作業が結構大変なので先発隊から増員要請が来た、という現場だった。
先にセンターに到着していた仲間の二人と合流し、計五人で一緒に現場へ向かう。
君津エリアは広く、指定された現場は何と15km以上も東! 房総半島の一番太い部分を3分の1程も入った所だった。
向かう途中、若干の山越えだったのだが、場所によっては見たことも無い規模で木々が倒れている。

到着したお宅は、大きな桃の木、枇杷の木などが暴風で倒れ、ひどい状態になっていた。
不幸中の幸い、隣接する倉庫にも、電柱にも倒れ掛かっていなかったので、被害は最小限。
先発隊三名は我々よりも恐らく10~20歳程年上のおじさまたち、人生の先輩。
一緒にチェンソーや鋸で木を捨てられるサイズに切り、軽トラックの荷台へ。
「いやぁ、若い人が来てくれて助かったよ! 爺さんばかり三人じゃ、どうにも進まなかったんだよ!」
ううう、大して若くも無いんですけどね。。。

最初は、もっと深刻な現場を手伝うイメージだったので、え?倒れた木を処理するだけなの?と若干拍子抜けしたが、聞けばこの木は想い出の木、このお宅のお婆様が植え、数十年かけて大きくなった木なのだとのこと。毎年たわわに実を付けていたのだろう。それが根元からへし折れてしまい、このまま放置してもどうにもしようがないので、非常に残念だが撤去して欲しい、と連絡したそうだ。
大切なものは人それぞれ、なのだ。

桃の木を片付け、コンビニで購入しておいた昼飯をほおばる。
三名の大先輩方は仲良く作業をされているので知り合いなのだと思っていたが、実は最近ボランティアセンターで知り合ったばかり、経歴はさまざまだとの事。
それぞれの方からいろいろな武勇伝を聞き、人生の糧がまた増えた。

引き続き木を切るチームと、第二現場へ先行するチームに分かれ、我々三人はご自分の軽トラを持つ先輩一名と一緒に第二現場へ移動。
こちらはのどかな田園風景の中の高台に位置する一軒家。

頼まれたのは、濡れてしまった畳4枚と、布団と、瓦礫とその他もろもろを災害ゴミ廃棄場へ持って行って欲しい、という内容。

既にこのお宅の奥様が殆どまとめて下さっていたそれらを積み込んで、あっという間に完了。
再び手応え感が微妙だったが、そもそも高台のお宅が何故? 畳や布団が濡れてしまったのだ?
「屋根瓦が吹き飛んでしまい、上から叩きつけるように豪雨が降り注いで・・・」
奥様の話で納得。
大工さんにお願いして瓦を直し、倉庫の屋根はご主人がご自分で板を買ってきて張り直したり、、、
「こんなこと、千葉では今まで一度も無かったのに・・・」
温暖化の影響で、台風の発生時期が狂ってしまっているのだろうか。

軽トラックの後を追って災害ゴミ廃棄場へ。
ゴミの種類で捨てる場所が分けられているので、指定通りに廃棄。
イスラム系と思われる方々も数人、働いていた。

センターへ戻り、それぞれのお宅で頂いたお菓子とお茶を。

今回、二つの台風と、その後になぜか発生したとんでもない豪雨で、千葉県は三度にわたり深刻な被害を受けた。
もっとひどい場所が同じ千葉県内に沢山あるんだろうな、、、正直なところ、今回ボランティアセンターから指定された現場はちょっと拍子抜けする位、作業としては軽い感じで終了した。

しかし、では今回の様な現場は助けに行く必要が無いのかといえば、そうではない。
老夫婦で何とかできるところまでは片付けたけれど、その後の作業はとてもではないが無理、と途方に暮れていた、そんな二か所。
被害の程度は実に様々だが、困っている人は至る所にいて、それを助けるのは生身の人間がひとつずつ対応して行くしかない。

TVニュースに映るボランティアの姿は、重そうなものを持ったり、かなりの重労働に見える。
そりゃそうだよな。自分もテレビ屋のはしくれだから、自分で取材する場合はメリハリのあるハードな動きをしている画を撮りに行くだろう。
しかし、こういうボランティアというものは、実は誰にでも出来るのだ。力の要らないごく簡単な片付けなら女性でもできるし、せっかく修理した瓦をまた暴風で粉々にされ、布団が全て水浸しになってしまい、落ち込んでいる老夫婦の話し相手になってあげるだけでも立派なボランティアなのだ。

自分もいろいろ忙しいけれど、また行こう、無理せず、行ける時に! そうあらためて心に決めた。

広報の大塚です。台風15号被害による神奈川県川崎市の災害ボランティア作業にご参加いただいた方の感想をアップさせていただきます。
この感想を読ませていただいて思い出したことがあります。阪神淡路大震災の時に何もできずに東京から忸怩たる思いでいた自分でしたが、東日本大震災直後に行動を起こしたユニオン号による災害ボランティアに触発され、初めてボランティア作業に参加したのが8年前でした。そしてそれが現在につながっています。

◎先日の台風で深刻な被害を受けた武蔵小杉地区にボランティア活動に行ってきました。
善い行い/人助け に ただガムシャラに取り組むというのはこの上なく清々しく(日頃の反動w)、労働の悦び・根源を改めて認識する貴重な機会となりました。
具体的には、災害に遭われた方で助けを求めてらっしゃる方のご自宅に伺い、床下の泥を掻き出したり、消毒殺菌を行ったり、という作業を行ったものです。
正直そんなに難しい作業でもなく、体力さえあれば初心者にも可能な作業ですが、なかなかその気持ちはあっても行動するきっかけがないとか、どうすればボランティア参加できるのかを知らない人が多いのではないかと思いました。
世の中みんな助け合いで生きているので、自分が助けることができる立場の時はできるだけ行動しなきゃと改めて思いました。

「初心者大歓迎!」
「無理なく自分にできることを!」

皆さんも是非!

また機会を作って参加させてもらいたいと思っております。

チーム・ユニコンの災害ボランティア作業にご参加いただいた皆さまのご感想をアップして行きたいと思います。

2019年9月14日~22日、岡山県倉敷市真備町に、3名の方がボランティア作業に参加されました。
内容は、被災者のFさん宅のご自宅のリフォームのための屋台骨、欄間、障子磨き、床下の泥の掻き出し作業でした。
この時期は、8月に発生した佐賀県豪雨被害や、9月9日に上陸した台風15号による被害のための災害ボランティアの方々が多く九州や千葉県へ行かれていた時期でした。
ただし、前年の平成30年豪雨による西日本の被災地でもまだまだ人手が必要な現状は変わりません。もちろん九州北部豪雨の被災地でもまだ人手を必要としています。
そういったボランティアの人手を必要としている場所を忘れずに、中長期的に援助を行うことも、災害ボランティアを考えていく上でとても大切なひとつなのだと思います。
ご感想の文中に出てくるパパラさんという方は、長期的に住み込みで倉敷市真備町でボランティア作業を続けておられる方です。
今回ユニコンではパパラさんが手がけているお宅にて一緒に作業を行いました。
その時にご参加いただいた方のご感想を以下に掲載いたします。

◎今日の真備での作業はパパラさんを入れて四人、三城さんが先日作業に入った同じお宅の欄間の清掃でした。
ホームセンターで歯間ブラシ等買い入れ午前作業。
お昼は讃岐うどんのお店に行き、お店の前のボランティアセンターに顔を出してから午後の作業。
全部完了とはなりませんでしたが17時に終了。
私は吉備真備駅まで送ってもらい帰りました。
好きなタイプの作業を日陰で落ち着いてやらせてもらい、おかげさまで楽しい秋の一日でした。ありがとうございました。

左、Fさん宅。右、ボランティア作業の様子。

この一週間の思い

2019年10月7日(日)。
この一週間、VCの引っ越しを含め、実に様々なことがあり、様々なことを感じました。
それは、初めてボランティアセンターに運営サイドとして関わることができたからだと思います。災害VCは、運営サイド、ボランティアさん、プロボノさん、そして何よりも被災者の皆さん。そういった様々な方々によって成り立っています。

ユニコンメンバーの合流

午後からユニコンメンバーが合流し、3名で作業を行いました。
本当はまだまだやるべきことはあったのですが、また機会があれば作業の続きをしに伺いたいと思いながら、最後の作業を終えました。

お世話になった方々との別れ

最後に、お世話になった方々にご挨拶をし、同じ部署の方々と一緒に写真を撮り、VCをあとにしました。
外は真っ暗です。1週間VCと宿泊所を繋いだ自転車を軽トラに乗せて、一週間の記憶が残る鋸南町を離れました。

1週間お世話になった同じ部署の方々と

(つづきます)

滞在最終日

2019年10月7日(日)。

鋸南町災害VCでの運営支援サポートも、7日目のこの日で自分の滞在も最終日になりました。
多数のスタッフが早朝に集合し、連絡事項等の伝達後、各パートにて業務が始まります。

被災者の生の声

災害VCスタッフとして被災者の方々にお電話をさせていただく機会も多いのですが、お電話口で状況を伺うと、本当に深刻な状態であることを知ることができます。

高齢者の被災者の方々も大変多く、息子さんや娘さんにご連絡を差し上げることも多いです。ご子息の方々の家屋も被災された上に、被災された親御さんのご自宅の処理もしなければならない過酷な状況を訴えて来られた方もおられました。体力的にも精神的にも限界に近い状態であることが電話口からも伺えました。

それでも、訪問されたボランティアの方々や、VCでご相談を受けるスタッフ、自分たちのようにお電話口で話されることで、救いになっているとおっしゃる方も複数おられました。自分たちの作業が、被災した家屋の処理に力を注いでおられる住民の方々の支えに少しでもなっているようでしたら、スタッフとしてとても嬉しく思います。

学び

反省点も山ほどあります。でも、自分の行ってきたことが被災者の方々の支援の一助となっていたら幸いです。
一週間という短い期間ではありましたが、鋸南町の災害VCでの体験を通して学んだことは計り知れないです。

(つづきます)

1週間お世話になった担当部署

ボランティア受付再開

2019年10月5日(土)。

前日の豪雨により、この土曜日が新たなVCでのボランティアさんの受け入れ再開の日となりました。

土日は平日より受付時間が早くなります。早朝にスタッフが集合し朝礼が行われます。

各担当からの連絡をし、業務のスタートとなります。

全国各地から鋸南町へいらしたプロボノさんが、屋根のブルーシート貼りや補修等の高所作業や、倒木伐採等のチェーンソー作業に入られます。

一般のボランティアの皆さんも、被災物撤去等の作業をされます。

 

ボランティア受付の流れ

まずボランティアさんが来所されると、ボランティア作業の全体的な説明があり、次に作業のマッチングが行われます。そして地図にて現場を確認し、必要な道具や機材とともに現場へ向かいます。

VCには水や清涼飲料水、パンやカップめん等もあり、自由に利用していただいています。

お昼の休憩時にセンターに戻られ食事をされる方もおられます。

午後の作業を終えられたプロボノさんやボランティアさんが作業終了の報告をされます。

案件がこの日で完了したか、それともまだ残っているかの連絡を受けます。

 

全国各地からの支援

プロボノさんは、佐賀県の被災地と千葉を掛け持ちされている方もおられます。

ご自身の仕事の合間に千葉へ来られ作業をされる方も多く、ありがたいですし、本当に頭が下がります。

皆さんお一人お一人の善意が大きな力となり、被災地が復興に向けて進んでいきます。

VCでそれを肌身に感じながら過ごしています。

(つづきます。)