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広報の大塚です。
前回の投稿を一旦削除し、書き直しております。ご迷惑をおかけします。
今回は、昨年の令和元年台風19号被害に遭った福島県いわき市での災害ボランティア活動をされたメンバーの方々4名のご感想をアップいたしました。
どうぞご覧ください。

 

 

◎~いわき参加感想~ 台風19号が過ぎた後、千曲川、多摩川、阿武隈川、那珂川というような一級河川流域の被害は大々的に報じられていたのですが、正直いわき市の水害に関しては、あまり目にする事がなかったのでそれ程心配していませんでした。ところが、親戚が撮ってきてくれたいわき市の写真を見ると、主要街道に被災物の山が脈々と続いているではないですか、その様子はまさに昨年の真備のようでした。ちょうどユニコンで軽トラを購入したので、活用出来るのではないかと思い。いわき市に飛びました。災害VCはいわき市行政の中心街区にある社会福祉協議会にほど近い駐車場で営まれていました。この時期開設されているVCとしては、正直、小規模な方でした。ただ、倉敷や福岡など全国から応援スタッフも入っていて、運営もスムーズな印象です。丁度、鋸南町のVCにお手伝いで入っていた時のスタッフも入っていたので被災・復興の状況を伺う事が出来ました。台風19号がもたらした災害は、本当に広範囲に亘っているためボランティアも分散してしまい、いわきは新たに寄せられるニーズが日々完了していくニーズより多いような状況だそうです。東北地方からのボランティアがもう少し来てくれないかなぁと語っていたのが印象的でした。この日の作業は被災物を仮置き場に運搬撤去する仕事です。それぞれの自治会単位で、近くの公園や街道沿いに被災物を搬出していたのですが、恐ろしい量の家財がそこここに溢れてしやまったため、小川地区の市民運動場を急遽仮置き場にして、そこに集積するようにしたそうです。小川の仮置き場も既に凄い量の被災物の山が出来ていましたが、町中に溢れているものを再度、こちらに運ぶとなると、それはそれで大変な時間と労力が必要です。ボランティアに任せるか、行政で作業するか、国も含めて検討を始めたと言っていました。作業に入ったお宅のご主人は、ボランティアを頼むのを遠慮して、今までお一人で作業されていたそうですが、やってもやっても終わらない現状に絶望感を抱き、依頼してきたそうです。現在住んでいる母屋以外に、旧家と倉庫があり、とても一人で出来るような規模ではありません。ともかく箪笥など大きなものをドンドン仮置き場に運んで行きました。全体としてはまだ何分の一というくらいしか出来ませんでしたが、大きな物が片付き、スッキリした様子を見て、涙を流されていました。きっと大きな負担が心に重くのし掛かっていたのでしょう。いわきには、そうしょっちゅう足を運べないかも知れないけれど、継続的に訪れて、成り行きを見守って行きたいと思いました。

 

 

◎11/4 いわき いわき市は東京から遠いイメージだったが、車で2時間半の距離であり、それほど遠くないことに驚いた。台風19号の襲来から3週間程度しか経っていなかったが、公園や道路脇等に浸水した家から運び出された行き場のない家財等が積み重なっている光景をいくつも見かけ、災害の甚大さと復旧への道のりの長さを感じた。作業は浸水した家財等や、庭にたまったヘドロを回収しての水害ゴミ仮置き場への運搬だったが、仮置き場に集まったゴミの多さ、途切れなくごみが運び込まれる様子からも被害の大きさを感じることができた。そして、集積所に向かう途中で見かけた、夏井川の橋脚に巨大な流木がひっかかっているのを見て、自然の力の大きさ・強さというものを改めて実感した。ちなみに、ここは白鳥の飛来地で、12月にはかなりの数の白鳥が飛来していた。お昼に寄ったラーメン屋さんで、ボランティアに来たと話をしていたら、餃子をごちそうして頂いたのが嬉しかった。

 

 

◎12/8-10 いわき 初日は家の中から運び出したもの集積所への運搬、2日目は水没した軽ワゴン車の中の掃除とごみの運搬、畑の水路の泥かき、3日目は庭にたまった土砂の掻き出しと集積所への運搬を実施。一ヶ月前と比べると、いろいろなところに溜められていた行き場のない家財等々が随分片付けられ、少しずつ復旧が進んでいるように感じられたが、一方でボラセンへのニーズも途切れておらず、人の手でやらないといけない作業も多く残っていることから、まだ先が見えないなという印象を受けた。集積所も12/15での閉所が決まっていたようだが、全体的に疲労感が漂っているように感じた。まだまだ自分たちにもできることがあるように感じた。
今回は久々の宿泊だったので、いわきの美味しいものもいろいろ食べられた。初日はどぶ汁。話は聞いていたが、まさかこんなに美味しいとは。。。鍋にたどりつくまでに相当食べて腹一杯だったのに、雑炊までしっかり食べてしまった。これはまたここに来て食べてみたい。次はちゃんとお腹の余力を残した状態で。。。2日目は飲み歩きチケットを使っていわき湯本飲み歩き。蕎麦屋と焼き鳥屋に行ったけど、どのお店も美味しかった。ここはどこのお店もレベルが高い。。ただ、月火休みのお店が多いのには要注意。3日目も美味しいきじ重を食べてから東京へ。どこの宿の温泉も良かったし、こりゃまた飲み歩きに来ないといけないな。

写真は、いわき市の災害ボランティアセンター、決壊した夏井川、被災物の集積場

 

◎チーム・ユニコン いわき市災害ボランティア活動に参加して

11/4(月)に福島県いわき市で災害ボランティアに参加しました。いわき市では10/12(土)~13(日)にかけての台風19号と10/25(金)の大雨で夏井川が氾濫、流れ込んだ土砂によって多くの住宅が床上浸水の被害を受けました。

早朝、自宅を出発、福島県いわき市災害ボランティアセンターでマッチングして、いわき市平中平窪のお宅にて庭の泥かきをしました。幸い日差しはあるものの心地よい風が吹いていたので、気持ちよく作業できました。最初7名、追加で5名+2名、軽トラで6回くらいかかって運び出すほどの量で、おそらく200袋以上の土嚢袋ができました。

地面の表面を覆い、少し固まってきてひび割れた泥の塊を、スコップや手で土嚢袋に詰めていきます。まだ水分を含んだ泥はなかなかの重量で、始めはよかったものの後半戦は私も参加の皆さんも何度も背中を反らして腰を伸ばしながら作業しました。

今回のお宅は平屋で1階部分が床上浸水。地面から210cmまで、床上からだと150cmくらいの位置までの浸水になるため、基準の床上1.8m以上に届かず全壊にならない状況とのことでしたが、実際には住むことができる状態ではありません。

家の中の発泡ウレタンの断熱材も剥がすと柱は濡れてしまっていて、全て剥がして乾燥させないと駄目なようです。

ご主人と奥さまのお話では、深夜に近くの夏井川が決壊したと聞いて、過去にも床下浸水を経験していたのですぐに車で避難したから車は無事だったけれど、2日間は規制されて家には帰れなかったそうです。やっと入れるようになって、膝上くらいまで水に浸かりながら家に戻ったら、玄関から入ると冷蔵庫の上に畳があり、タンスの表が上を向いて倒れていて何が起こったのか、という状況だった、とおっしゃっていました。

ご近所の方は、水位が上がって屋根に上って逃げたり、天井裏で顔だけ出して難を逃れたりした方もいたそうです。

農家で田んぼの稲は、幸い何とか耐え凌いだ部分が多いようでしたが、家に置いておいた一年かけて収穫したお米は全てダメになってしまったそうです。

被災したご自宅の撮影は控えたため写真はありませんが、1.7m以上の部分は補償の問題もあるので現状維持するためにまだ手をつけられず、それより下の部分を徐々に作業しているとのこと。庭の泥かきも含め、ご夫婦で少しずつやってもなかなか進まないのでとても助かる、とおっしゃっていただきました。もし自宅がこの状態になったら、と考えると、家族だけではいつになったら作業が終わるのかと、途方に暮れてしまうところです。

前日からボランティアが入ったとのことで、その日の活動で広いお庭の表側はだいぶきれいになりましたが、まだまだです。しかし、ボランティア自体のニーズは他にもたくさんあるため、続けて同じお宅に入れるかどうかはわかりません。

一つ目の写真は許可をいただいてお庭から外を見る向きで撮影させていただきました。きれいな景色ですが中央左手の松の上には、茶色いわらのような枯れ草が乗っています。この高さ(赤線の位置)まで水で埋まってしまったことを想像すると、本当に大変なことだと実感しました。

二つ目の写真は、現場からの帰り道の災害で使えなくなってしまった家財などの山です。集積場には私は行けなかったのですが、行った人の話では見上げるほど山のように積みあがっていた、ということでした。被災地にはまだまだ人手が必要、再びお手伝いできればと思うのでした。

さて、作業後には「いわき湯本」の温泉に。いわき市のボランティア後は割引きしていただけて、温泉で疲れを癒してから帰ることができました。皆さんも、ちょっと充実した温泉旅行はいかがですか?

広報の大塚です。

今回は、昨年の令和元年台風被害で千葉県君津市で災害ボランティアに入られた方のご感想をアップいたします。
千葉県では倒木の被害が多く、山間部での被害も広範囲にわたり、現在でも撤去作業が続いています。

 

今回は初めて君津でボランティアをしてきました。
最初に5名で向かった現場は、台風で倒れた倒木をチェンソーで切り続ける現場です。
もちろん僕らはチェンソーは使えないので、先についた職人の方々のアシスタントをすることになりました。言われるがまま、切り倒された木を運び軽トラに乗せ、大きいものは手鋸できるという作業です。
職人の方々はみなさん60〜70代のチームでした。元々知り合いだったわけではなく、君津のボラセンを通じて作業をすることで交友を深めていったそうです。
もっとも、それを知らない僕らには、まるで子供の頃からの友人通しかのように映っていました。
僕らは5人は、20代、30代、40代、50代だったわけですが、職人さんたちに全員若者呼ばわりされるという珍しい経験をしました。
そう言い切れてしまうくらい、年齢を感じさせないほど元気な職人さんたちでした。
普段出会えない方々と出会え、どんなベテラン選手でも若手になれる、ボランティアの楽しさはこんなところにもあります。


伐採した倒木を積み込むトラック

先日、チーム・ユニコン初の総会を開催いたしました。令和元年台風被害の災害ボランティアとして千葉県へも数多く訪れました。
今回は千葉県君津市のボランティア活動にご参加いただいたメンバーの方のご感想をアップいたします。

 

10月27日日曜日

川崎駅に8時15分集合。アクアラインを渡って、房総半島へ。君津市のボランティアセンターへ。午前中は、台風15号で倒された樹木の処理を手伝う。気の良いボランティアのオジサンたちに合流して作業。昼食後は、別の民家にガレキの処理に。台風15号、19号、そして21号。もうどの被害による被害なのかが分からない。移動の途中で見た杉林の木々が、あたかも割りばしが折れているかのようにポキポキに折れている光景が衝撃的だった。決して他人事ではない。風速60メートルの台風がいつどこに来てもおかしくないということである。かなり恐ろしいことだと思う。作業後、ボランティアセンターで今日一日作業をした「人生の先輩」である3人のオジサンたちと楽しく歓談。3人とも地元の方。作業を共にしたからこその雰囲気で、とても良い時間だった。

 

君津市災害ボランティアセンター

広報大塚です。
いよいよNPO法人チーム・ユニコンの総会が開催されます。
そして、チーム・ユニコンの初プロデュース舞台作品「エール!」の稽古が始動いたします。
大きな節目の一日になりそうです。

今回は、令和元年台風19号被害による神奈川県川崎市での災害ボランティア作業にご参加された方のご感想をアップいたします。

都市部における自然災害に対して大きく考えさせられます。
災害は対岸の火事ではなく、いつ自らが当事者になってもおかしくない状況だということを、あらためて感じます。

 

10月24日木曜日。2日連続。川崎市でボランティア作業。今回は、民家の床下の清掃。床下にこびりついた泥を助教する作業を淡々と進める。前日と違い、ニオイもないし、力仕事でもない。でも途中から腰が痛くなる。もう若くはない。作業を終えて、電車で帰宅。まだ午後5時すぎ。

こんな近くで水害が発生しているのだ。そのことに驚く。川崎の人たちも、世田谷の人たちも、まさか自分の家が…と思っていたに違いない。都市だろうと、地方だろうと、災害は突然やってくる。災害が多発する時代になってしまったのである。あらゆる災害は他人事ではないのだろう。そのことを実感。

 

 

 

広報大塚です。
令和元年の台風15号被害で千葉県の鋸南町での災害ボランティアに入られたメンバーの方のご感想をアップいたします。
鋸南町で自分が一人で作業をしている一週間の前半に、二日間一緒に作業に入っていただき、災害VCの移転の時期にも重なったので、とても心強かったですし、お世話になりました。

下にアップした写真は、宿泊施設の外観と、敷地内のサッカー場。そして施設の目の前に広がる青い海です。

 

◎10月1日火曜日
朝いちで電車を乗り継いで、内房線の安房勝山まで。車窓から見える家々にはブルーシート。台風15号の風速60メートルの被害はかなり激しい。
昼前に鋸南町役場に設けられたボランティアセンターに顔を出し、そのまま作業に入る。被災からのニーズをPCに入れていく作業が続く。停電のせいか何なのかは不明だが、重なっているニーズ用紙も多く、発生当時の混乱がうかがえる。整理しながら作業を続ける。
被災地では、全国から集まってくれるボランティアたちの頭数も重要だが、こうしたバックヤードで支えるボランティアセンターの運営の人たちの作業も重要なのである。そんなことを考えながらの作業が続く。
夜、鋸南町の社会福祉協議会の人たちとのミーティング。この日、今日なん街に入ったばかりで詳しい事情は分からなかったが、職員の方々の「やる気」のなさが気になった。言葉の端々に、ボランティアセンターを早く縮小したい様子がうかがえる。
ボランティアセンターを仕切る社会福祉協議会。地域社会では。介護、障碍者、シングルマザー等々、社協の役目が増えていることは間違いない。特に地方では、高齢化も進み、より仕事が増えているのだろう。日常の業務もあり、なるべく早くそちらに戻りたいのだろう。
でも、災害対応も彼らの重要な仕事。もっと前向きに取り組んでほしいと正直も持った。
おそらく鋸南町だけの問題ではないのだろう。社協の役目を再考し、どう支えていくかも、災害多発の時代には問われているのかもしれない。

10月2日水曜日
一般のボランティアは休み。この日は、ボランティアセンターを役場の議員控室から、保田という隣の駅近くに引っ越す作業を手伝う。軽トラで荷物を運び、なんども往復する。
毎年のように発生する大規模災害。去年の西日本豪雨の被災地では、今も復旧作業は続く。そして今年は佐賀でも水害が起きた。となると、ボランティアセンターを運営する人たちの頭数も当然のことながら足りなくなる。
被災した人たちに全国から集まってくるボランティアが柔軟に手を差し伸べていくためには、バックヤードの充実があってこそ。
最近の相次ぐ災害では、それが足りていない。ボランティアセンターの運営に従事する人たちをどう育てていくか。それも今、社会全体で考えていかなければいけないこと。そんなことをブツブツと考えながら、軽トラを運転。夕方、作業を終え、金谷から東京湾フェリーに乗って帰京。対岸の景色は普段通り。会社帰りの人たちが家路を急いでいる。わずか船で40分の距離なのに、あまりにも空気感が違うことに、不思議な感覚に襲われる。

皆さま、寒暖差で体調など崩されていないでしょうか。
ユニコン広報大塚です。
昨年の災害ボランティア活動にご参加いただいた方のご感想をアップしておりますが、今回は令和元年台風15号の被災地、千葉県富津市での活動のご感想です。

 

まずは富津ボラセンの感想から。運営がきちんと組織化されていて、休日でたくさん訪れるボランティアをスムーズに受け入れていました。

最初のマッチングで行った現場は、自宅の敷地内に物置のようなものが飛んできた(この家のもの?)高齢者宅。物置の解体と撤去という依頼でしたが、手持ちの工具では解体できず。。事情を依頼主に説明してボラセンに帰り、引き継ぎのための報告を済ませました。現状報告のために現場で撮った写真はwebを介してアップロードできるようになっており、ここでもスムーズなインフラに関心させられました。
時間があったので、2回目のマッチングを受けることにしました。次の現場はチェンソーを使って倒木を切るボランティアさんのアシスタントでした。

お宅の前には川が流れてており目の前の山が崩れて土砂が川を覆ってました。。初めて目の前でみるチェンソーの作業は正直怖いものでしたが、安全防具装着の上慣れている方が作業すると、やはり短時間でたくさんの倒木を切ることができました。特殊作業ができるボランティアさんが頼もしくも羨ましく映りました。アシスタントである僕らは、切られた倒木をまとめたり、枝木をノコギリでカットし細かくして捨てやすくする作業を行いました。依頼者宅のお庭にあった小さな倒木のみ、僕が真備町より授かった丸ノコで切ることができたので、その点では少しは貢献できたのかなと思います。真備の皆さんから寄付していただいた作業後、鋸南町のボラセンに寄付させていただきました。作業後は鋸南町ボラセン(当時)の近くにあるお風呂へ。。ボランティアスタッフは無料で利用することができました。

風害の被災地は初めて見ましたが、被害にあった住宅のほとんどは一部損壊、半壊など。全壊よりも保障等の判断基準が難しいと言われます。今後は現場作業だけでなく鋸南町ボラセンの運営のお手伝いもできたらなと考えております。

昨年の活動をアップしています。
今回は、佐賀県武雄市での、三城理事長の活動の感想をアップいたします。

 

◎昨年10月、真備町から石巻市にシェアリングカーを移動させるお手伝いをしたように、真備から佐賀県の武雄市にシェアリングカーを移動させました。佐賀の水害で車が不足しているのを補うために、日本カーシェアリング協会さんが現地に乗り込んでいるのです。朝10時、「パパラん家」のボランティア作業をする人たちは、この日午前中は、僕も昨年作業に入ったMさん宅(というか店舗)で地元の方との茶話会を開くというので、茶話会に必要な道具の運搬や人のピックアップのお手伝いをしてから、佐賀に向かいました。

Mさん宅には昨年、二日ほどしか作業に入っていなかったにも拘らず、しかも延べ人数にすると相当大勢の人が入っていたにも拘らず、ちゃんと覚えていてくださり感慨深かったです。佐賀に向かう僕を店頭から深々と頭をさげて見送って下さった姿が忘れられません。

真備から佐賀までの道はほぼほぼ渋滞もなくスムーズでしたが、やはり軽車両ためか結構時間が掛かりました。武雄市に着いたのは18時でした。熊本や朝倉に支援で入っていた時は東京から16、7時間かけて運転しており、丁度真備の辺りが中間地点のため、そこから九州までは結構近く感じていたのですが、やっぱり中々の距離でした(笑)その車は早速、翌日からシェアリングカーとして活躍したそうで良かったと思います。

翌日は武雄市でボランティア作業をしました。佐賀県では、油の流出した大町と武雄の被害が大きく、この両地域には、県内で同じく被災したにも拘らず収拾の目処がたったという地域の方々が「他人事と看過できない」と多く通っていらして、社協の運営する災害VCは受付開始の一時間前に、その日の作業定員に達してしまうという感じでした。その社協のVCの横に民間のVCがあり、定員に達してしまった場合はそこでボランティア活動が出来るようになっています。

この民間災害VCは「おもやいボランティアセンター」といいます。武雄市北方の自治的組織が立ち上げ、NPOが運営のサポートに入っています。行政とも連携を取っているので、高速道路無料化のスタンプなどもいただけました。この日の作業は、軽トラ3台、作業員用ワゴン1台でキャバンを組んで家外に搬出されている町中の被災物を回収、地区の仮置き場に運搬・分別するというものでした。浸水で使用不能になった家財のほか、内水氾濫によって敷地内に堆積しまった土砂をつめた土嚢などがありました。上記の車両で丸一日かけて完了できましたが、床板を剥がし始めているお宅なども作業中見かけたので、まだまだ、今後も多くの運搬物は出てきそうな気配を感じました。VCに戻ると、マスコミで一躍注目を集めたスーパーボランティアの尾畠さんが、若い女性ボランティアのリクエストに応えて、写真撮影をしていました。このようなことがきっかけでも災害ボランティアに関わる人が増えるといいなぁと微笑ましい気持ちになりました。

NPO法人と地元有志で運営している「おもやいボランティアセンター」

2019年9月に行われた岡山県倉敷市真備町での災害ボランティア、4名の方にご感想をいただきました。
これまで3名の方の感想をアップさせていただきましたが、最後のお一人になります。

文中に登場する「パパラ」さんとは、書家として活動している方で、被災地に長期滞在をされて災害ボランティアを継続されている方です。
真備町のボランティアでは、パパラさんが活動をされる被災者のお宅で作業をさせていただきました。

以下、ご感想です。

◎今回、真備は一日しかいられなかったのですが、思い出深いものになりました。今年の春以来ですが、宿泊は「パパラの家」に厄介になりました。相変わらず地元の人が、出たり入ったりして賑やかです。岡山市内から料理を作りに来てくれるジャックさん、今回は「重ね煮」のタネにした餃子でした。そして、たくさんの炊き込みご飯を持ち寄ってくれたミキちゃん。今回は連休だったのでボランティアさんも多く、県外から5名の人がやってきて泊まっていました。あ、作業のこと全然書いてないですね(苦笑)作業はパパラさんが4か月近く、一人で作業する日も多い中、コツコツと清拭作業を続けていたFさんのお宅に入り、最後の柱磨き、床磨きを行いました。振り返ると本当に気の遠くなるような作業ですが、多くのボランティアさんが、ちょっとづつでも参加してタスキをつないだそんな案件です。みんな一日黙々と、ブラシ、タオル、歯ブラシを使って木地にしみ込んだ汚れを浮かせてふき取る作業をしていました。この地道な作業をずっと真備に根を張って続けてきたパパラは本当にすごいと思います。(パパラさんは堺の人です)だから、地元の人にも遠くからやって来るボランティアさんにも愛されているんだと思います。実はこの日の夕食時、パパラさんは作業で入っていたお宅のリフォーム完成祝いにお呼ばれしていて、家主のパパラさんがいないのに皆で酒宴を張っていました。家主不在なのに、ジャックさんミキちゃん以外にも地元の方が2人やってきて、パパラさんが帰ってくるまで、お酒を飲んで待っています。被災当初、どのようにしてボランティアキャンプサイトを行政に交渉したかなど貴重な経も伺うことが出来ました。そんな「パパラん家」も10月をもってクローズとなるそうです。真備が落ち着きを取り戻して来ている証拠ではあると思うのですが、正直なんかちょっと寂しい気持ちになります。毎年、気仙沼に訪れるきっかけがあるように、真備にもそういう「場」が出来るといいなぁと本当に思います。

広報の大塚です。
2019年、ユニコンでは多地域でボランティア作業をいたしました。皆様のご参加に感謝しております。
昨年は台風被害による災害ボランティア作業を、千葉県、神奈川県、長野県、福島県で実施いたしましたが、一昨年の水害による岡山県倉敷市でも引き続き人手を必要としておりました。
そして、昨年9月にはユニコンメンバーの方々が岡山県で作業をされました。

その時にいただいたご感想を今回アップさせていただきます。

 

◎第2タームで当日現地集合の形をとり、いつもは ユニコンの方と一緒なのですが、今回は初対面の皆さんと四人で作業しました。
私が参加した日は前日までの力仕事が一段落し、ついに最終段階の細やか黙々作業.取り外した欄間の清掃でした。和室の上部のものと室内仕切り襖で障子の代わりにガラスが入っているものが大小十数枚。
作業前にホームセンターで歯間ブラシなど購入。
世話役のパパラさん「僕たちも全ての作業に精通してるなんてことはなくて、いつも、これどうするん?みたいな新しい展開を迎えるわけですよ」と話され、実際 作業中に “ココこうするとこんなん出来るやんかー!”という嬉しい発見がありました。
作業に入ったお家は 東京では 古民家 と言われるような 立派なお宅。柱や梁は 今では簡単に手に入らない上質な木材や 石材 を使われていました。
9月中旬、真備地区からも佐賀や千葉の方に沢山のボランティアの方が行かれたとのこと。かの地では今日のトイレもままならない状態を考えると、ボランティアで欄間の清掃…?と思われるかもしれません。しかしながらここまで細やかに対応された例として今回の真備での作業に参加させていただけて良かったと思っています。遠慮がちな高齢者の方に何度もローラー作戦でニーズを掘り起こし、自分のことは「みんな大変だから」と話さないので「困っていることはないですか」ではなく「困ってる方をご存知ないですか」と聞く。
日本のどこかで常にボランティアセンターが設置されている様になってきました。各地で違いや差がついてしまっては困る。でも実際、どこの自治体でもほとんど初めての経験なんですよね。クオリティの高かったケースはどんどん共有されていくといいのに。そんなことを思いながら リクエストして吉備真備駅まで送ってもらい記念写真を撮り帰路につきました。


真備町での作業の様子。

広報の大塚です。
2019年、平成31年、令和元年が本日で終わります。
「UNION号による災害ボランティア」が、その8年間の活動を基に、「NPO法人チーム・ユニコン」へと変化を遂げた年であるとともに、「自然災害」の脅威を突き付けられた一年間に思えます。

前回に引き続き、本年10月の神奈川県川崎市の災害ボランティアのご感想をアップいたします。

来年も「NPO法人チーム・ユニコン」をどうぞよろしくお願いいたします。

 

◎10/23  川崎 台風19号による豪雨によって内水氾濫が発生したエリアで地下室が浸水したお宅での家財の片付けの作業を実施。都市部の住宅街の中でもこのような被害が発生し、しかもほんの数m・数十cmの標高の違いで被災したエリアと全く被災しなかったエリアとが隣り合っている光景にショックを受けたが、ちょっとした高低差が被害の有無を分けることがわかり、様々な情報から被害の可能性について調べておくこと、備えをしておくことが必要と感じた。
作業したお宅よりわずかに離れた標高が低いエリアではより大きな被害を受けていたようだが、復旧がなかなか進まない上に不満を吐き出せるところがなかなか見つからない状況、さらには非常に限られたエリアだけで被害が発生していることがその不満を大きくしているを実感させられる場面もあり、依頼者のみならず周囲の方に寄り添ったボランティア活動、ということの難しさも実感した。都市型の災害の一つの特徴のようにも感じ、同様に都市部で災害が起きた時にはこのようなことも考えていかないといけないと感じた。