あけまして、の後の言葉を紡ぐのに躊躇するくらい、新年早々、非常に大きな地震が発生してしまいました。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また、被災された方々へ心よりお見舞いを申し上げます。
すでに多くの団体が災害支援に現地入りしていますが、チーム・ユニコンも現地での支援を開始しており、その第一弾として、三城理事長のチームが1月5日に東京を出発し、能登へ支援物資の運搬を行なっています。
既に現地入りしている連携団体の「災害ボランティア 愛・知・人」さんから、現時点で不足しているもの・必要なものを聞き取ったところ、運搬前日の段階では、無洗米(100kg)、水2ℓ×24本、灯油40ℓ、レトルト食品できるかぎり運んでほしい、とのことでしたが、その後改めて入った連絡では、道路の復旧が多少進んだようで水が大量に届き始めたため、水とレトルト食品は不要となり、それらの代わりに味噌30kg、顆粒だし6kg、トイレ用凝固剤200回分、醤油2本、灯油40ℓ、無洗米100kgが必要とのことだったので、それらを購入しました。加えて、在庫で持っていたウエス、簡易トイレ、ポリ袋で作った医療用ガウンも積みこんで、19時に東京を出発しました。
現地ではガソリンスタンドにも行列ができているのということなで、復路用に携行缶にガソリンを40ℓ充填しています。
東京を出発後は、かなり荷物を積んでいたことや、関越・上越の高速道路の凍結の心配もあり、安全運転で進み、富山県射水市に翌午前2時頃、その後、七尾に午前5時に到着しました。
その後、愛・知・人さんのアドバイスを受けて、七尾到着後すぐ、渋滞がひどくなる前に七尾を出発しました。その時点でも、渋滞ではないなりに既にそれなり長い車列ができているような状態でした。
暗中悪路の走行でしたが、前の車のブレーキングを参考に運転し、珠洲市を目指しました。
道路もかなりの被害を受けています。
移動中、震度5強の余震が発生しましたが、運転中だったのでそれ程揺れを感じず、そのまま運転を続け、目的地の珠洲市飯田小学校の避難所には7時過ぎに到着しました。
到着後に話を聞くと、余震は相当大きな揺れだったそうで、避難所から出てくる方々から、これで金沢に避難する決心ができた、本当に怖かった、という言葉が聞こえてきました。
現地に到着して周囲を確認すると、至る所で大きな被害を受けていることがわかりました。
海沿いでは、津波により大きな被害を受けていました。
到着後は、昼の炊き出しの準備のチームと、孤立集落というほどではないものの避難所に入るのが難しい地域から受けたリクエストに応える形で支援物資を届けるチームに分かれ、作業に当たりました。
支援物資を届けるチームは、30世帯くらいの直地区(ただちく)へ物資を届けました。
その地区の集会所は支援物資の配布先に先日登録したばかりということで、まだ物資が不十分だったため、飯田小学校にいた災害ボランティア団体にヘルプ要請が来たということのようでした。そこで、その集落でヘルプ要請をされたお宅に、地区で分配出来るほどの量の食糧や水、灯油などを持って伺いました。
現地で町会長さんを紹介していただき、地区の状況を伺ったところ、既に4世帯ほど金沢に出て行ってしまっていましたが、残った殆どの方が避難所には入らず、自宅避難をしたり、寝泊まりだけは集会所に来ているという状況とのことでした。
集会所に行ってみると住人の方が十数名いらして、先程届けたもの以外にも色々不足している物があることが判明しました。そこで、すぐに市役所に出向き掛け合いましたが、大規模支援用物資を正規の配送ルート以外で配布することが難しいが、個人篤志家から寄せられてた物で希望する物があれば、それをピックアップして届けても良いということで交渉が成立しました。
それを受けて、愛・知・人さん所有のプロパンガスと五徳と共に、数々の要望品を備蓄倉庫となっている体育館からピックアップして集会所に届ける事ができました。
炊き出しチームは、愛・知・人さん、避難されている方の有志の方々と、しっぽくうどんを250食作りました。
正月に食べられなかったかまぼこを大量に使用したため、鮮やかな見た目になっています。
現地では大きな被害を受けており、多くの支援が必要な状況です。
一方、現地へのアクセスが制限されていることや、他の地域でも大きな被害を受けていることから、連携する団体と連絡をとりながら、アシスト瓦作成などの遠隔での支援も含めて、どのような活動ができるか考え、継続していきたいと考えています。
活動の内容については随時こちらのブログ・SNSで報告していきます。
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