突然ですが、MAN WITH A MISSIONというバンドをご存知でしょうか?頭は狼、体は人間という5つの生命体で構成されるバンドで、最近だとmiletさんと一緒に紅白歌合戦で「鬼滅の刃」の主題歌「絆の奇跡」「コイコガレ」のパフォーマンスを披露していました。

実はこのバンドのヴォーカルのTokyo tanakaさんは東日本大震災のころから災害ボランティアに非常に積極的にコミットされていて、#サポウィズからCONNECTという流れでプロジェクトを進行しています。僕らが連携しているおらっちゃ七尾にも#サポウィズや#コネクトのロゴが付いたダンプや備品などが多数おいてあります。これらはそのプロジェクトから提供されているもので、被災地の現場でメッチャ活躍しています。そのプロジェクトの一環として、GAPPA ROCKSという音楽フェスが5月10日に金沢で開催されました。これは音楽の力を能登の災害復興に生かそうというイベントで、フェスの収益から実費経費を除いた全てを能登復興のために活動をしている団体に寄付をするというものです。そればかりではなく、フェスに参加した方にボランティア体験が出来るというAFTER VOLUNTEERというマッチングイベントも行いました。

        

5/10(土)

ユニコンが七尾で連携しているおらっちゃ七尾を運営する団体一般社団法人sien sien west他にも多くのボランティア団体が、5月10日、フェスの会場となった石川産業展示館の前の広場に活動展示ブースを出展し、多くの来場者に能登の現状を訴えました。おらっちゃ七尾のブースでは活動の展示を行いつつAFTER VOLUNTEERに参加する方々にオリエンテーションビデオをご覧いただいてレクチャーを行いました。このオリエンテーションビデオこそ、3月のレポートからお伝えしてた代物で、カメラは僕が回し、その後コツコツとユニコンメンバーが東京で編集・MAを行って作成したものです。GAPPAに参加していた他のボランティア団体さんからも汎用性があるので使いたいとご好評いただいたという事でした。ユニコンからは2名がこちらのブースの運営に参加し、呼び込みや支援グッズの販売などを行いました。朝6時に七尾を発ち、撤収後戻ってきたのは23時でした。それでも、1万2000人近くの人が集まったフェスで次々とアーティストが能登への熱いメッセージや復興支援の必要性を楽曲とともに届ける姿に胸が熱くなり疲れも吹き飛んだようでした。

      

        

      

一方僕は、翌日にsien sien westがオーガナイズするイベント、AFTER VOLUNTEER体験ボランティアのマッチング会場となる能登香島駐車場の準備をおらっちゃ常連メンバー7名と行いました。(実はGAPPAの会場に持っていくのを忘れたものを届けに行ったりしたので、実際設営に加わったのは午後からとなりました)テントの設営やボランティアで使用する軽トラックのスタンバイ、会場サインの作成などボランティアインフォのメンバーの方と協力しながら18時まで行いました。

5/11(日)

この日も朝6時からの始動です!受付時間の8時前にマッチング会場となる能登香島駐車場に能登で活動するさまざまな災害ボランティアの団体が集まります。テントを立上げ、サインボードを貼り、テーブルにはマッチングのための資料が並べられ、資材置き場に現場にもっていくペットボトルなどがスタンバイされます。和倉温泉から参加される体験ボランティアの方々のためのシャトルバスは、不要な事故を招かぬように会場内の走路チェックを行ったりしています。今回のこのイベントは事前予約制となっており、まず受付で名簿と照合するチェックインを行います。前日に、件のオリエンテーションビデオを見ている人はそのままマッチングのテントにお進みいただき、まだ見ていない方はオリエンテーションビデオをループ再生しているテントに誘導し、ビデオを一通り視聴した後にマッチングテントへ移動していただくというフローです。このイベントにはユニコンから3名参加しました。午前中に帰京する僕ともう1名はこの受付を、終日活動が行えるメンバー1名が体験ボランティアのメンターを行いました。マッチングはいつも我々がやっているような「作業系支援」と写真洗浄やプランター作成、サロン活動などの「ソフト系支援」の2つのカテゴリーに分けて行い、総勢300名がこの駐車場から現場へと飛び立っていきました。

        

       

      

 

ユニコンメンバーがメンターとなった作業系の現場はGW中にも活動を行った中島のお宅。そうです!マンウィズのファンの奥様がいらっしゃるお宅です。他におらっちゃ常連さんが2名、プロボノのオープンジャパン1名もメンターに加わり、体験ボランティアの方8名と不要家財の分別・運び出しを行いました。(因みに下にある写真で埋めているものはお漬物です。大量にあったので、畑の肥やしにするのが良いのではということで穴を掘って埋めました)お昼は家主さんにチラシ寿司をいただき14時まで作業。体験ボランティアの方中には経験者もいらして、同じ趣味(音楽)いうことでチームにもまとまりがあり、作業はスムーズに進んだそうです。ダンプ3杯、軽トラ1杯の家財を搬出して、マッチング会場に戻りました。そこでは、地域のお母さん方がボランティアの皆さんへの感謝という事で、つみれ汁を作ってくれていて、和気藹々語らいながら悪天候の中の作業で冷えた体を温めたそうです。最後にsien sien westの今井代表が熱いメッセージを送り、記念撮影をして活動終了となりました。今回体験した皆さんがきっとボランティアの裾野を広げてくれることでしょう!

         

         

今回体験ボランティアをしたのは、ライブのお客さんばかりではありませんでした。フェスに出演していたアーティストさんたちも作業に参加しており、活動後にはMAN WITH A MISSIONのTokyo tanakaさんが是非、先ほどお宅を訪問したいという事になり、家主さんと感動のご対面となりました。サプライズに涙する奥様と記念撮影を行いました!

今まで多くの被災地で活動してきた中で被災者の方からときどき聞くのですが、災害に見舞われたこと自体は辛く、苦しいことだけれど、被災したからこそ気づけたことやご縁があり、悪いことばかりではない。というようなフレーズがあります。能登ではなかなかそういう声を聞かないことが我々としてはとても気がかりなのですが、アーティストやボランティア団体のこのような地道な行いで悪縁が良縁に変わることを願って止みません。

   

 

石ちゃんの報告につづきGWの最終盤5日と6日の活動報告です。
 
5/5(月・祝)
ユニコンメンバーは3人が残り、この日は関東からやってきた4人家族と消防士さんの計8名で、石崎のお宅作業にあたりました。
公費解体する納屋(というか住まいにも出来そうな別棟)から、不要家財を分別して仮置き場へ搬出したり、必要な母屋に移動したりという作業でした。軽トラ4台分を搬出しました。かなり大きな(90×90×60)お米用の冷蔵庫を2mくらい移動させるのですが、納屋の引き戸が地震で歪んでいるため取り外しが出来ず一思案。引き戸のレールを工具で取り外すなどして無事に戸を外し、納屋から母屋の土間に移設することが出来ました。公費解体する納屋でしたが、引き戸はキチンと嵌め直してロックして完了としました。
 
         
 
午後一にこちらのお宅の作業が完了となったため、その後はお馴染みの長壽寺からの畳の搬出などの継続作業を行いました。ユニコンが入るのは3回目です。この日も一緒に入ったユニコンメンバーは目黒に住んでいるのですが、家の傍に「八百屋のお七」に因縁のある井戸があり、この長壽寺にそのお七の供養塔があることに気づいて驚嘆の声を上げていました。色んな意味で仏縁のあるお寺なのかもしれません。軽トラ1台分の処分家財を搬出の後は、昨日に引き続きおらっちゃ七尾の園庭でのプランター作成に勤しみました。
 
         
 
この夜は青柏祭最後の夜。アニメや実写映画にもなった漫画「君は放課後インソムニア」でもフィーチャーされており、聖地巡礼先にもなっている七尾のお好み焼きの名店「平野屋」で舌鼓を打ったのち、21時半から鍛冶町のでか山の【納め山】を見に行きました。非常にオープンなお祭りで、一見の僕らでも山を曳く綱を取らせてもらう事が出来ました。20t近くあるのですが100人近くの人数で引っ張るので物凄いスピードで山車が追いかけてきます。まるでジュラシックパークのティラノザウルスに追われているような興奮がありました。
 
         
 
大地主神社の参道に入るところで直角に辻回しをしますが、でか山についている木製の大車輪では舵が切れません。山車の中央部から進行方向に対して直角に設置された小さい車輪を引き出して、大車輪を浮かしながら、その小車輪で直角方向にでか山を曳き回すのです。大車輪を浮かすために長い梃に男衆が何人も登り、電線に並ぶ雀のように連なって飛び跳ねます。時間はかなりかかりますが、荘厳で雄大な儀式は飽きることなく、緊張感をもって進みます。結局、目的地の大地主神社にでか山が納まったのは5月6日に日付が変わってからのこととなりました。昨夏の奉燈祭の際にも思いましたが、能登の祭りは地域の一体感を呼び醒ますものではあるけれど、決して排他的ではなく。すべてのものを一つに溶かして昇華させる、そんな懐の深い神事です。
 
         
 
5/6(火・祝)
今日もユニコンは3人。都合8人のチームで中島町中島の築60数年という大きな家の公費解体前の片付けでした。とにかく衣服を含めて搬出すること家財が多く、この日1日作業で軽トラ5台分運び出すも完了せず。家主の奥さんはマンウィズ好き。翌週に予定されているマンウィズの金沢のライブの事もご存知で、復興支援音楽フェスGAPPA ROCKSの話題に及びました。
 
         
 
また3日後に、そのGAPPA ROCKS AFTER VOLUNTEERの準備に戻ってくるのだけれど、17:30に七尾を発ち、その日中に東京に戻りました。
 
 

GW中盤以降も能登での活動を継続しています。
5月2日〜4日も石川県七尾市で、おらっちゃ七尾さんと連携して活動を行っております。

5月2日は、3件のニーズに対応しています。
1件目は七尾市富岡町での活動でした。
すでに公費解体され、更地になったお宅ですが、お隣の倉庫の基礎が一部露出してしまっていたため、将来的に建物が傾いたりしないよう、その部分を補強するため、土嚢を作り、基礎の前に並べていく作業を実施しました。
雨の中での作業でしたが、午前中で無事完了しました。

2件目は七尾市岡町で、発災時に上下でずれたままとなっていた仏壇の修正作業を行いました。
非常に大きく立派な仏壇のでしたが、無事完了、その後は七尾市旭町のおらっちゃ七尾さんが運営している災害ごみ仮置き場での災害ごみの受け入れ・仕分け作業を行い、この日の作業は終了しました。

翌5月3日は、七尾市中島町の公費解体を控えたお宅での家財の搬出作業を行いました。
この日は姫路と徳島から来た高校生と一緒の活動でした。家主さんとコミュニケーションを取りながら残すもの、残さないものを選んでいきましたが、高校生たちも家主さんと色々お話することができ、楽しそうにしていたのが印象的でした。

5月4日は、前日も活動した中島町のお宅での作業を継続、作業は完了となりました。
その後、別チームが実施していた中島町の別のお宅での家財の搬出作業に合流、こちらも作業完了となりました。

午後は、おらっちゃ七尾さんのベースである石崎保育園に戻り、園庭に設置する木製のプランター作りのお手伝いをしました。
大工さんが中心となり、木材を切って組み合わせていき、この日のうちに5−6台のプランターを作ることができました。
ここに花が植えられ、咲くのを見るのが今から楽しみです。

なお、この活動期間中に、七尾四大祭りの一つである青柏祭が2年ぶりに開催されていました。
このお祭りは国の重要無形民俗文化財に、そしてユネスコ無形文化遺産に登録されているものです。
主役は、でか山と呼ばれる日本最大級の曳山(高さ12m、重さ20トン!!)で、市内の3つの町から三台のでか山が大地主神社に奉納されます。
でか山はとにかく大きく、その迫力に圧倒されました。
また、去年は地震の影響で開催されなかったお祭りが開催され、町の方々も非常に楽しそうにされているのが印象的でした。
そして、お祭りに多くの人が集まっている様子を見るのは非常に感慨深いものがあり、ゆっくりとはいえ、復旧・復興が少しずつ進んでいることを実感することができました。

5月5日以降の活動は、別ポストで報告の予定です。

GWの序盤の週末、おらっちゃ七尾には連日80名超の方が駆けつけていました。ユニコンからも7名の方が参加と賑わいました!
このGWでどれくらいのニーズを完了出来るのか?我々も精進してまいります!
 
4/25(金)
この日は本隊より先乗りしてユニコンメンバーのご夫婦が七尾入りして活動されました。活動メンバーは6名(ユニコン2名、その他4名)で、廃棄する家財等の分別・搬出を3件行ったそうです。
まず午前中は、七尾市古府町のお宅。既に大方分別頂いていましたが、分別内容の確認と同時に、大きめの木材やカーペットの切断等を行い、軽トラックに積み込み、倉庫に運んだところでお昼ごはんになってしまい終了。まだ手付かずのものが半分程度残ったので、家主さんの希望するペースに合わせて、残りの対応をしていくことになりそうという事です。
午後からはおらっちゃ七尾近くの石崎町のお宅2軒を回りました。1件目は、廃棄するベット、机、カーペット等の運び出しでしたが、机が大きく頑丈で、解体にかなりの手間を要しました。お家の方も解体ってこんなに大変なんだと驚かれていました。2件目は、廃棄するエレクトーンの搬出でしたが、結構大きなエレクトーンなのと、奥の部屋にあり、裏庭の狭い空間を利用しての搬出となりました。この日はいろいろな事情で写真は撮っておりません。ご了承下さい。
 
4/26(土)
本隊5名、深夜1時におらっちゃに到着し、ゆっくり仮眠して万全の体調で活動に臨みました。先乗りの2名と一緒に七尾湾東端に突き出した崎山町鵜浦漁港の側のお宅で不要家財の分別、運び出し。既に一度作業に入っているお宅で、その時にビニールに梱包したものをまず旭町の仮置場へ移送しました。往復約1時間かかるため、その後我々が分別したものなど含めて、この日は結局、軽トラ4杯分の分量しか搬出出来ず、継続案件となりました。そうそう、NHKの「明日をまもるナビ」の取材が来ていました!
 
           
 
4/27(日)
先遣隊の2名は前の日の深夜バスで帰京したので、本隊5名で石崎香島で分別・搬出の作業。近接する3つのお宅を同時に整理していきました。1件は完了。この日は午前中だけの作業で帰京のため、残り2件は継続となりました。
 
          
 
作業を終えておらっちゃ七尾に戻ると建物の裏側にチューリップが一輪咲いていました。七尾は桜の季節が終わってチューリップが咲き誇っています。川沿いや花壇的なところ以外にもこのような感じで野原にポツポツと咲いているのを見かけることが多いです。七尾は今、本当にいい季節を迎えています。
 
           

 

昨夜、長野で大きな地震がありました。
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
しばらくは大きな余震が起こる可能性があるとのことですが、これ以上被害が大きくならないことをお祈りいたします。

さて、4月12-13日のレポートです。
この週末は七尾市のおらっちゃ七尾さんでの活動でした。
園庭の桜が、ちょうど満開でした。

この二日間は、ブロック塀との格闘の連続となりました。

4月12日、この日はユニコン2名を含めて6名のチームで活動でした。
1件目は小島町で、崩れて側溝に落ちたブロック塀を解体して取り出す作業でした。
ブロック塀がそれほど大きくなかったこともあり、午前中で作業を終了することができました。

お昼を挟んで2件目は、寿町で、今度はブロック塀の解体に加えて、花崗岩の板を割る作業を実施しました。
ブロック塀はハツリ機で解体していきますが、花崗岩はそんなわけにはいかず、ドリルで穴を開けた後、セリ矢という道具を開けた穴にハンマーで打ち込んでいくことで割ります。
慣れている方に教えてもらいながら作業を実施、最後に応援の軽トラに解体したブロック塀と割った花崗岩を積み込み、無事作業を終了しました。

時間が残っていたので、3件目へ。
3件目は藤島町のお宅でのブロック塀の解体作業でした。
上流から側溝を流れてくる水が地震で被害を受けた基礎に入り込んできてしまい、膨らんできてしまったため、少しでも基礎への負担を減らすため、上に設置されているブロック塀を解体して欲しいというニーズでした。
鉄骨が入ったかなり頑丈なブロック塀で、応援のメンバーが加わったものの、作業時間が取れず、ある程度解体したところでこの日の作業は終了、継続案件となりました。

4月13日、この日は生憎の雨となりました。
午前中のみの活動でしたが、若林町のお宅で、既に解体されていたブロック塀の搬出作業を行いました。
仮置き場まで2往復して午前中の作業は終了、午後のチームに作業を引き継ぐことになりました。
この現場のように、ブロック塀の解体は終わっているものの、搬出が終わっていない案件も多く残っているそうです。

おらっちゃ七尾さんの抱えているニーズは200件以上、ニーズ数は減らず、むしろ増えていっている状況だそうです。
この週末は、毎日30〜50名の方がボランティアに参加されていたものの、今後も息長く支援を続けていくことが必要だと改めて感じました。

 
 
 

 

リモートでもできる被災地への支援の一つとして、復旧が進んだ際に被災地にて必要になるであろうアシスト瓦の作成会を実施しておりますが、春休みの終わり間近の4月5日に、東京都中野区にて第8回アシスト瓦作成会を開催しました。
初めての参加の方3名を含む4名の方にご参加いただき、アシスト瓦を40枚作成いたしました。
ご参加いただきありがとうございます。

去年の能登半島地震をはじめ、近年、各地で多くの災害が起きていますが、今回の作業を通じ、いつ自分の身に起こるかわからない災害について考えさせられた、との感想もいただいており、このような活動がボランティアへのきっかけになるとともに、防災・減災について考えるきっかけとなっているとうれしいです。

令和6年能登半島地震の被災地にて復旧が進んだ際に必要となる可能性に備え、学生さんの長期の休みを中心に作成会を開催していきたいと考えています。
開催が近くなりましたら改めてご連絡致しますが、本活動にご興味がございましたら、ボランティア活動申し込みフォーム(ここをクリックしてください)を通じてご連絡いただければ、今後の予定や活動の詳細についてお知らせできるかと思います。
また、作成会当日は出入り自由ですので、ご都合が良い時間に是非ご参加ください。

今年も3月29日、30日に目黒区の田道広場公園で開催された「目黒イーストエリア桜まつり」に出展された気仙沼物産展のお手伝いに参加しました。

目黒区と気仙沼市とは平成22年9月より友好都市協定を締結しており、コロナ禍での休止はありましたが、毎年気仙沼から春の旬の物が届き、桜の下でご賞味いただけるイベントとなっております。

ブースでは、気仙沼から持ってきていただいた牡蠣やホタテ、カツオのハラス、カニ、メカジキのカマを、牡蠣は蒸し牡蠣に、他のものは炭火焼きにして提供しました。
また、マグロの頭も炭火で焼き、こちらはふるまいとして提供しました。
その他にも、美味しい乾物などのお土産やホヤぼーやグッズなども販売しました。

このイベントの自分的な推しポイントの一つは、なかなか気仙沼以外に出回ることのないカツオのハラスやメカジキのカマなどの魚介がいただけることかなと思います(脂が乗っていて、お酒にもピッタリ!)。
もちろん、牡蠣やホタテやカニ(イメージがないかもしれませんが、気仙沼にもカニは上がります!今回提供したものはマルズワイという種類です)も美味しいです。
初日は残念ながら雨模様だったこともあり人出も少なめでしたが、日曜には天気も回復し多くの方にご来場いただけ、多くの方にこれらの美味しい魚介を、満開の桜を見ながらご堪能いただけたのではないかと思います。

気仙沼は前身のチーム・ユニオン時代に、東日本大震災発災直後から災害ボランティアとして長く活動した場所ですが、森林火災に見舞われた大船渡に近接しております。
今回の売り上げの一部は、大船渡の復興にあてられることになっております。

今回も理事長の三城からのレポートです。

能登も桜の咲く4月となりました。行政も人事異動の季節を迎え災害復興の進捗にもいろいろな影響が出てきそうな雰囲気が。良い方に転がるといいなぁと思ってます。
それではいつものように活動報告といきましょう。

4/4(金)
単身先のりしたユニコンメンバー1名が12名編成のチームで活動。ボランティア依頼は初めてという(一年経ってやっと発起する方も増えています)石崎町のお宅。こちらは公費解体でなく、まだしばらく住むという事で、生活空間を確保するために、廃棄するものを分別・搬出する活動。思い出の品も家主さんと相談しながら整理しました。

     

午前中でこちらのお宅の整理は完了。午後は新しく処分品の仮置き場として運用を開始する朝日町の倉庫の準備です。過去ログを見ていただくと分かりますが、今まで焼却・処分施設の「ななかリサイクルセンター」がクローズしてしまう週末はおらっちゃ七尾さんの園庭に処分品を仮置きしていました。簡易なテントだったので強い雨が降ると可燃物などもグショグショになってしまうし、園庭自体も活動車両が増えたことで駐車スペースを確保したいということから、別場所に仮置き場を設けることになったようです。(ということで、テントがあったところはトラックの駐車スペースなってますよというのがこのシークエンスのラストの写真です)

    

4/5(土)

この日から、僕ともう1名のユニコンメンバーが合流。僕はここのところ従事しているオリエンテーションビデオ用の追撮。4か所をめぐって様々なシーンを撮影しました。他の2名のユニコンメンバーは4人編成のチームで、午前は祖浜町から小島町への引っ越し、午後は長壽寺の畳や不要座布団の搬出および園庭整備を行いました。

     

4/6(日)

僕は技術系チームのハツリのお手伝いを2時間ばかりしてから、オリエンビデオ用にソフト系団体が開催しているお茶会の取材に。ほか2名のユニコンチームはこの日も4人編成で公費解体となる石崎町のお宅の分別・搬出を行いました。

写真TOPから2枚はハツリ現場のビフォーアフター(僕が離脱するまで)です。そもそも技術チーム2人だけでは午前中に作業を終えて帰路につくことが難しいと悩んでいたので、急遽、撮影前に僕が参加することになりました。僕は、焼魚の骨を身から剥がすように、ブロック塀を横に貫いている鉄筋を剥離していき、もう1名が骨の無くなった身を解すように積みあがったブロックを単体にばらします。それを残りの1名が集積場に積んでいくというフローで、なかなかの進行速度で作業することが出来ました。雨そぼ降る中作業を開始した時は完了するか不安でしたが、見事最後まで完了したそうです。(僕は上記アフター写真の状態で撮影のため離脱したので伝聞で確認しました)

分別・搬出班の方ですが、こちらは相続人不明のまま震災直後から放置されてお宅で、写真を見ていただくと分かるようにかなり大変な状況、かつ床が腐敗していたり、柱も歪んでいるような危険な状況。注意しながら比較的安全な部屋から軽トラ1台分の家財を搬出しましたが、やはり危険が大きいので本部と相談してそれ以上の作業はしないことにしました。このような家は他にもあり、行政がどのように対処していくか問われるケースが今後増えると思います。ラスト2枚は石崎の春祭りの写真。今までの日常がすこしずつ戻ってきている足音を感じさせる春となっています。

         

     

 

 

 

 
 
 
 

 

またまた理事長の三城です。

先週末も能登で活動して来ました。

3/22(土)
今回ユニコンは2名のみの参加とちょっと寂しい感じでしたが、おらっちゃ七尾さんには歴代最高の111名のボランティアさんが集まっていました。僕は前週に引き続きオリエンテーションビデオの取材・撮影で、もう1名のユニコンメンバーがリーダーを務める和倉のお宅の家財搬出や佐味町のブロック塀解体、そして大和町でのニーズ掘り起こしのためのローラー訪問の現場を飛び回りました。
下記の写真は、もう一名のメンバーが入った家財搬出の作業の様子。こちらは公費解体のためではなく賃貸として貸し出すための家財搬出でした。生活のベースが変わってしまったので日々の管理費との見合いで人に貸すことにしたという事でした。やはり人の数だけ暮らしの事情というのもはあるのだなぁと実感しました。終日作業で無事完了。

     

最後の写真はお昼休みのベースの様子。ボランティアさんがフルートとバイオリンの演奏で食事の時間を和やかに優雅にしてくれた時の写真です。3歳の頃から演奏を始めたらしく相当な腕前で、安定感ばっちりで本当に素晴らしいものでした。

3/23(日)
この日は一名が能登演劇堂復活公演の「まつとおね」の楽日マチネの観劇に行ったため、僕一人が活動に当たりました。4名1チームで午前中は石崎から和倉までのお引越し。軽トラ都合4台分の分量でした。お昼前に完了したので午後は2名ずつに分かれて他のチームに合流。小島町から本府中町への引っ越しのお手伝いと処分する家財の分別と搬出を行いました。こちら引っ越しの荷物は2tトラックと軽バンに、処分家財は軽トラに。15時ちょい前に完了しておらっちゃへ戻りました。

僕はその後帰京し、観劇に行っていたメンバーはもう一日残っての活動となりました。

 

     

3/24(月)

平日ということでこの日はボランティア20名。ユニコンメンバーは8人編成のチームで石崎町のお宅で家財の分別・搬出。家主さん親子も一緒に作業してくれたこともあり、午後はやい時間に完了したため近所の別案件のヘルプに入りました。そこでも家財の搬出を行いましたが、そちらは継続となりました。

      

 

 
 
 
 

 

理事長の三城です。

大船渡の森林火災の災害支援について、情報交換をしている団体と植林の可能性を探っておりますが、いわゆる災害復興復旧支援のボランティアは現在、ニーズの総量から判断して市内からの募集のみとしているようです。
一方、七尾市は残ニーズが若干減少していましたがここ数日で依頼が増加し、再び200件を超えてきたという状況となっており、この週末も引き続き能登で活動して来ました。

とは言いながら、僕はボランティア活動をする際のオリエンテーションビデオを刷新する相談をおらっちゃ七尾さんから受けたので、そちらの方に軸足をおいてボランティアさんを活動地まで送迎したり、資材の不足がある時に運搬などのサポートするくらいで、他は打ち合わせしたり撮影したりしておりました。

   

⇑こんな感じやってます。
ということで下記の作業は他に参加してくれた2名のメンバーからのレポートとなります。

3/15(土)
この日は一日、中島町塩津のお宅において都合12名が母屋と納屋の家財出しを行いました。今回は2回目の作業だったので母屋はほぼ完了。納屋は半分程度残して継続案件としました。納屋は床や階段に不安定な場所があるのでそのあたりもしっかりセンターに申し送り、今回も宿泊所とした美湾荘に向かいました。

     

いつもはこの美湾荘の中にある割烹居酒屋「吉松」で夕食を取るのですが、この日は「六年生を送る会」で貸し切りだったので温泉の飲食街まで足を延ばしました。先週まで雪が降りこめていた能登ですが、春は近づいていることをソコココで実感します。

       

3/15(日)

氷雨降りしきる日曜日でしたが、それでもおらっちゃには60名を超えるボランティアが集結。僕は引き続き撮影に。他のユニコン2名は12名構成のチームの一員として魚町へ。ちゃきちゃきと指示を下さる家主さんに従い1階・2階の不要家財を分別・搬出しました。