広報の大塚です。
台風15号被害による千葉県木更津市・館山市・鋸南町・富津市の災害ボランティア作業をされたメンバーのご感想をアップいたします。

千葉県南部を中心に大きな被害をもたらした台風15号の被害状況は、ニュース等を見ていてもすぐには全容を確認することができず、被災状況の大きさは時間とともに少しずつ分かってきました。しかしやはり実際にその土地を訪れないと分からないこともたくさんあり、その様な状況の中で、三城理事長が千葉県南部のVCのヒアリング及びボランティア作業をされたときの感想です。

◎5日間かけて、9地域の災害VCを回って状況のヒアリングをしつつ、4ヵ所の災害VCで作業に従事しました。

一番強く感じたのは、東日本震災以降、熊本・朝倉などで完成形に近づいたと感じられたVC運営の継承があまりうまく出来ていないということでした。最も効率的な運営をしていた富津市のVCでさえ、資機材は十分でなく、やはり激甚災害認定を受けると受けないでは雲泥の差だということを感じさせられました。被災家屋の補償認定などもそうですが、このあたりの線引きというのは残酷です。ただ、ここで要件を緩和すると、いままでの災害時に同等規模の被災をした地域、家屋にも同様の手当てをしなかったこととの整合性が取れなくなるというジレンマがあるようです。そのあたりの事情がボランティア作業に大きく影響して来ていました。

ニーズのマッチングをして現場に向かうのですが、到底ボランティアには出来ない作業であったり、ニーズ表に書かれている人数では無理であったり、特殊な資材が必要なんだけれどそれがなかったり、といった具合の「空振り」が半数以上を占めていたのです。

これはどこかのVC固有の問題という訳ではなく、どのVCでも見られました。ニーズに受付・即マッチングというシステムが生み出す悲劇だと思います。やはり現調(現地調査)をして人員と資機材の適正な配置をするということが本当に大事なのだと思いました。(そのためには中長期的にも運営に携われる人、地元に強い人が必要だということも)また、屋根のブルーシート張り講習会や倒木のチェーンソーによる解体などのお手伝いなど、特殊技術の必要な作業にも携わることが出来、大変貴重な経験をしました。

この経験を今後の千葉の支援活動に生かし、NPOの運営に生かせるように頑張らなければと身の引き締まる思いがしました。

話は自分のボランティア活動とは直接関係のないことになりますが、ひとつ千葉で感じたことを最後に書きたいと思います。それは木更津で見た光景についてです。被災直後から停電が解消されるまで、大変な非難を浴びることが大きかった電力関係ですが、朝方6時台のコンビニには、全国の電力会社から派遣された電力マンの方々でごった返し、サンドイッチをかじりながら次々と現場に向かっていく姿をみると、報道だけでは伝わらなプロの矜持というものが確かにあると感じさせられました。


千葉県安房郡鋸南町の様子

広報の大塚です。
台風19号被害による神奈川県川崎市の災害ボランティア作業をされたメンバーの方のご感想をアップさせていただきます。
台風15号のときの、千葉県の災害時にも感じたことですが、神奈川県川崎市や東京都世田谷区の災害は、普段訪れているほど近い場所だっただけに、その被害の大きさへの驚きとともに、あらためて、災害を「わがこと」として認識をいたしました。

 

◎10月23日水曜日。

朝、川崎市の武蔵中原駅に集合。すぐ前のボランティアセンターに顔を出す。多摩川沿いのお宅にうかがう。

台風19号で近くの川の水が溢れ、地下室が完全に水没。濡れた家財を地上に運び出す。被災から10日あまり。地下室のにおいがすごい。30分も作業をすると頭がクラクラしてくる。頭から泥水をかぶりながら作業。途中、応援の人たちも加わり、なんとか地下室の家財一式を運び出す。

とにかく水害対応はスピードが求められる。早くキレイにしないと、カビやにおいは日増しに悪化していく。

住人は、この上の階に住んでいるのである。彼らの健康のためにも素早い対応が求められている。

隣町の横浜から来ているというごみ収集車の活躍が印象的。とにかくあの手、この手で早めの作業が求められる。

10月24日木曜日。

2日連続。川崎市でボランティア作業。今回は、民家の床下の清掃。床下にこびりついた泥を助教する作業を淡々と進める。前日と違い、ニオイもないし、力仕事でもない。でも途中から腰が痛くなる。もう若くはない。作業を終えて、電車で帰宅。まだ午後5時すぎ。

こんな近くで水害が発生しているのだ。そのことに驚く。川崎の人たちも、世田谷の人たちも、まさか自分の家が…と思っていたに違いない。都市だろうと、地方だろうと、災害は突然やってくる。災害が多発する時代になってしまったのである。あらゆる災害は他人事ではないのだろう。そのことを実感。

広報の大塚です。
ユニオンの災害ボランティア活動にご参加された皆様のご感想をアップさせていただいています。
台風15号、19号の被災地である千葉県君津市で、本年10月に活動をされた方のご感想です。
千葉県南部の山間部は倒木の被害も多く、チェーンソー作業が可能なプロボノさんと一般のボランティアさんの協力のもとに作業が行われていました。
ご感想を読んでいて、とても臨場感があり、作業のご様子が想像できました。ご感想本当にありがとうございます。

◎2019/10/27(日) 君津ボランティア報告

二回にわたる大型台風、そして台風でもないのに記録的豪雨。千葉がひどいことになっている。
とりあえず一度、行ってみなくては、と思った。
たまたま同じ神奈川在住のボランティアスタッフの方が車を出して下さることになり、川崎駅でもう一人拾い、アクアラインを通って君津へ。
アクアラインはまさかの事故渋滞、君津ボランティアセンターの到着が予定より遅くなったものの、その分、受付は妙に空いていてスムーズにマッチングされた。
マッチングとは、ボランティアによるお手伝いを申し込まれたお宅に対して、当日センターに集まってきたどのボランティアスタッフを送り込むかを結合する作業。

指示されたのは、既に三名が送り込まれているが、作業が結構大変なので先発隊から増員要請が来た、という現場だった。
先にセンターに到着していた仲間の二人と合流し、計五人で一緒に現場へ向かう。
君津エリアは広く、指定された現場は何と15km以上も東! 房総半島の一番太い部分を3分の1程も入った所だった。
向かう途中、若干の山越えだったのだが、場所によっては見たことも無い規模で木々が倒れている。

到着したお宅は、大きな桃の木、枇杷の木などが暴風で倒れ、ひどい状態になっていた。
不幸中の幸い、隣接する倉庫にも、電柱にも倒れ掛かっていなかったので、被害は最小限。
先発隊三名は我々よりも恐らく10~20歳程年上のおじさまたち、人生の先輩。
一緒にチェンソーや鋸で木を捨てられるサイズに切り、軽トラックの荷台へ。
「いやぁ、若い人が来てくれて助かったよ! 爺さんばかり三人じゃ、どうにも進まなかったんだよ!」
ううう、大して若くも無いんですけどね。。。

最初は、もっと深刻な現場を手伝うイメージだったので、え?倒れた木を処理するだけなの?と若干拍子抜けしたが、聞けばこの木は想い出の木、このお宅のお婆様が植え、数十年かけて大きくなった木なのだとのこと。毎年たわわに実を付けていたのだろう。それが根元からへし折れてしまい、このまま放置してもどうにもしようがないので、非常に残念だが撤去して欲しい、と連絡したそうだ。
大切なものは人それぞれ、なのだ。

桃の木を片付け、コンビニで購入しておいた昼飯をほおばる。
三名の大先輩方は仲良く作業をされているので知り合いなのだと思っていたが、実は最近ボランティアセンターで知り合ったばかり、経歴はさまざまだとの事。
それぞれの方からいろいろな武勇伝を聞き、人生の糧がまた増えた。

引き続き木を切るチームと、第二現場へ先行するチームに分かれ、我々三人はご自分の軽トラを持つ先輩一名と一緒に第二現場へ移動。
こちらはのどかな田園風景の中の高台に位置する一軒家。

頼まれたのは、濡れてしまった畳4枚と、布団と、瓦礫とその他もろもろを災害ゴミ廃棄場へ持って行って欲しい、という内容。

既にこのお宅の奥様が殆どまとめて下さっていたそれらを積み込んで、あっという間に完了。
再び手応え感が微妙だったが、そもそも高台のお宅が何故? 畳や布団が濡れてしまったのだ?
「屋根瓦が吹き飛んでしまい、上から叩きつけるように豪雨が降り注いで・・・」
奥様の話で納得。
大工さんにお願いして瓦を直し、倉庫の屋根はご主人がご自分で板を買ってきて張り直したり、、、
「こんなこと、千葉では今まで一度も無かったのに・・・」
温暖化の影響で、台風の発生時期が狂ってしまっているのだろうか。

軽トラックの後を追って災害ゴミ廃棄場へ。
ゴミの種類で捨てる場所が分けられているので、指定通りに廃棄。
イスラム系と思われる方々も数人、働いていた。

センターへ戻り、それぞれのお宅で頂いたお菓子とお茶を。

今回、二つの台風と、その後になぜか発生したとんでもない豪雨で、千葉県は三度にわたり深刻な被害を受けた。
もっとひどい場所が同じ千葉県内に沢山あるんだろうな、、、正直なところ、今回ボランティアセンターから指定された現場はちょっと拍子抜けする位、作業としては軽い感じで終了した。

しかし、では今回の様な現場は助けに行く必要が無いのかといえば、そうではない。
老夫婦で何とかできるところまでは片付けたけれど、その後の作業はとてもではないが無理、と途方に暮れていた、そんな二か所。
被害の程度は実に様々だが、困っている人は至る所にいて、それを助けるのは生身の人間がひとつずつ対応して行くしかない。

TVニュースに映るボランティアの姿は、重そうなものを持ったり、かなりの重労働に見える。
そりゃそうだよな。自分もテレビ屋のはしくれだから、自分で取材する場合はメリハリのあるハードな動きをしている画を撮りに行くだろう。
しかし、こういうボランティアというものは、実は誰にでも出来るのだ。力の要らないごく簡単な片付けなら女性でもできるし、せっかく修理した瓦をまた暴風で粉々にされ、布団が全て水浸しになってしまい、落ち込んでいる老夫婦の話し相手になってあげるだけでも立派なボランティアなのだ。

自分もいろいろ忙しいけれど、また行こう、無理せず、行ける時に! そうあらためて心に決めた。

広報の大塚です。台風15号被害による神奈川県川崎市の災害ボランティア作業にご参加いただいた方の感想をアップさせていただきます。
この感想を読ませていただいて思い出したことがあります。阪神淡路大震災の時に何もできずに東京から忸怩たる思いでいた自分でしたが、東日本大震災直後に行動を起こしたユニオン号による災害ボランティアに触発され、初めてボランティア作業に参加したのが8年前でした。そしてそれが現在につながっています。

◎先日の台風で深刻な被害を受けた武蔵小杉地区にボランティア活動に行ってきました。
善い行い/人助け に ただガムシャラに取り組むというのはこの上なく清々しく(日頃の反動w)、労働の悦び・根源を改めて認識する貴重な機会となりました。
具体的には、災害に遭われた方で助けを求めてらっしゃる方のご自宅に伺い、床下の泥を掻き出したり、消毒殺菌を行ったり、という作業を行ったものです。
正直そんなに難しい作業でもなく、体力さえあれば初心者にも可能な作業ですが、なかなかその気持ちはあっても行動するきっかけがないとか、どうすればボランティア参加できるのかを知らない人が多いのではないかと思いました。
世の中みんな助け合いで生きているので、自分が助けることができる立場の時はできるだけ行動しなきゃと改めて思いました。

「初心者大歓迎!」
「無理なく自分にできることを!」

皆さんも是非!

また機会を作って参加させてもらいたいと思っております。

チーム・ユニコンの災害ボランティア作業にご参加いただいた皆さまのご感想をアップして行きたいと思います。

2019年9月14日~22日、岡山県倉敷市真備町に、3名の方がボランティア作業に参加されました。
内容は、被災者のFさん宅のご自宅のリフォームのための屋台骨、欄間、障子磨き、床下の泥の掻き出し作業でした。
この時期は、8月に発生した佐賀県豪雨被害や、9月9日に上陸した台風15号による被害のための災害ボランティアの方々が多く九州や千葉県へ行かれていた時期でした。
ただし、前年の平成30年豪雨による西日本の被災地でもまだまだ人手が必要な現状は変わりません。もちろん九州北部豪雨の被災地でもまだ人手を必要としています。
そういったボランティアの人手を必要としている場所を忘れずに、中長期的に援助を行うことも、災害ボランティアを考えていく上でとても大切なひとつなのだと思います。
ご感想の文中に出てくるパパラさんという方は、長期的に住み込みで倉敷市真備町でボランティア作業を続けておられる方です。
今回ユニコンではパパラさんが手がけているお宅にて一緒に作業を行いました。
その時にご参加いただいた方のご感想を以下に掲載いたします。

◎今日の真備での作業はパパラさんを入れて四人、三城さんが先日作業に入った同じお宅の欄間の清掃でした。
ホームセンターで歯間ブラシ等買い入れ午前作業。
お昼は讃岐うどんのお店に行き、お店の前のボランティアセンターに顔を出してから午後の作業。
全部完了とはなりませんでしたが17時に終了。
私は吉備真備駅まで送ってもらい帰りました。
好きなタイプの作業を日陰で落ち着いてやらせてもらい、おかげさまで楽しい秋の一日でした。ありがとうございました。

左、Fさん宅。右、ボランティア作業の様子。

鋸南町での食事

鋸南町での滞在記のこれが最終回になります。

今回は千葉のグルメについて書きます。

鋸南町は保田漁港を有しており、新鮮な魚介を楽しむことができる町です。

一週間の滞在の間、さまざまな美味しい物に巡りあいました。

 

ボリュームがありリーズナブル

到着した夜に、ほぼ閉店していたにも関わらず入れたいただいたお蕎麦屋さん「金長」では、地元の小魚の揚げ物「ジンタ揚げ」が香ばしく大変美味でした。
お店の奥さんがボランティア活動を労ってくださって恐縮しました。

勤務初日の昼食は、地元で有名な中華「住吉飯店」で、ものすごいボリュームのえびそばに驚きました。食べても食べても海老がなくなりません。

翌日の昼は、鋸南町役場での勤務最終日だったので、安房勝山駅にほど近い寿司店「惣太郎」のランチをいただきました。目利きのご主人の選んだ地魚8貫と鰯が丸ごと入った味噌汁とデザート。握りはどれも絶品でリーズナブルでした。


住吉飯店の「えびそば」


惣四郎の「Aセット」

星と海に囲まれて……

翌日からは隣駅の保田にVCが移動。

宿舎のほど近くに大型スーパーがあります。魚コーナーには、地魚の刺身や寿司が多数並んでいます。VCから帰宅する夜は半額が目白押し。帰宅し汗を流したら、スーパーで買った絶品の寿司や刺身(半額)を肴に地酒などを飲みながら過ごす時間は至福のひとときでした。

宿舎の裏手にはサッカーコートがあり、小中学生たちがナイトゲームをしています。宿の別棟の外に出て、満天の星空の下、ベンチで飲み食いしながら、サッカー少年たちの様子を見て、さらに夜の海をバックに過ごしたのは本当に思い出に残ります。

部屋には冷蔵庫もあり、残り物も無駄にせず重宝しました。

保田漁港の地魚

鋸南町の飲食店は夜の閉店時間が早く、夕食の外食は断念していたのですが、たまたま少し早めに帰ることができた日に、スーパーの隣の食堂「栄丸」に入り、刺し盛りに舌鼓を打ちました。

保田漁港が直営している「ばんや」は、おそらく一番有名な食堂だと思います。漁港内の広い敷地に数店舗構えているのですが、建物のいくつかは被災し、営業再開がままならない状況です。ですが、本店が営業を再開していたので、一度だけ訪れました。

広い食堂内は地元の方や観光客の方々でとても賑わっています。

煮物や揚げ物も美味しそうだったのですが、盛り合わせのボリュームがすごくて、一人来店ゆえ断念し、海鮮丼を注文しました。


「栄丸」の「地魚刺身六点盛合せ」


保田漁港直営の「ばんや」


地魚海鮮丼

海ほたるの千葉グルメ

余談ですが、帰りの海ほたるでも千葉の味を楽しみました。
「あさりまん」と「びわソフト」です。
特にびわソフトは絶品でした。

あさりまん


びわソフト

魚三昧の一週間だったような気がしますが、やはり旬の地魚の美味さは格別です。

いずれあらためて観光客としても再訪して、千葉の海、そして海の幸を楽しむ時間を持ちたいと思います。

一か月の長い間、鋸南町の体験記にお付き合いいただき、ありがとうございました。

ママチャリ持参

鋸南町の災害VCでの運営支援のサポートで一週間鋸南町に滞在する際に、自宅から自転車を持参しました。

普通のママチャリです。

宿泊先と災害VCの移動の際、自転車での移動が可能な距離だったのですが、自転車は本当に重宝しました。

宿泊先も被災

宿泊先の施設は本館が被災し、壁に大きくブルーシートが張られています。

自分が宿泊をしたのは別棟でした。5棟建っているのですが、2棟が被災していて使用できない状態です。台風の恐ろしさを実感しました。


被災した本館

集められた屋根瓦


宿泊した別棟。
サッカーコートに隣接しており、目の前は海が広がります。

美しい海

別棟は海に面しており、朝は非常にすがすがしいです。

朝の出勤時には、海を眺めながら自転車を走らせセルのですが、実に爽快です。

ただ、食堂等の建物やガードレールや柵、漁港の網などに被害が見られます。

業務を終え、夜に施設へ戻る際は、自転車のライトがないと何も見えないほど暗いのですが、夜の海もとても雰囲気があり癒されます。

鋸南町は海と山に囲まれた、とても美しく、こころ落ち着く場所です。

東京の隣の県ということで、移動時間も少ないですが、その近さを感じさせないほどの魅力があります。観光地としてもとても素晴らしいことを実感しました。

  
宿泊した別棟の目の前に海が広がっています。


夜の海も趣があります。

劇団チーム・ユニコン始動!

いよいよ劇団チーム・ユニコンが始動いたします
皆さま、大変お待たせいたしました。
「劇団チーム・ユニコン」って何?と、長らく疑問を抱かせてしまったと思います。
満を持して、いよいよ情報公開させていただきます。

タイトルは「エール」

劇団チーム・ユニコンの旗揚げプロデュース作品、タイトルは「エール」です。
2017年に、近江谷太朗さんのプロデュース、劇団東京フェスティバルのきたむらけんじさんの作・演出で上演された作品です。
この作品にチーム・ユニコンが惚れこみ、このたびチーム・ユニコンプロデュース作品として2年半ぶりによみがえります。

舞台は被災地の避難所。
この場所に集まった様々な立場と境遇を持つ老若男女が物語をつむぎます。
わたしたちが知らない誰かの物語。そして、わたしたちの物語がここにはあります。

2020年3月11日

わたしたちは、2020年3月11日に初日を迎えます。
被災地の避難所から皆さまへお送りする「エール」を、
どうぞ、中野のテアトルBONBONまで受け取りにいらしてください。

詳細は、チーム・ユニコンのサイトをご覧ください。
皆さまのご来場をお待ちしております。

 

この一週間の思い

2019年10月7日(日)。
この一週間、VCの引っ越しを含め、実に様々なことがあり、様々なことを感じました。
それは、初めてボランティアセンターに運営サイドとして関わることができたからだと思います。災害VCは、運営サイド、ボランティアさん、プロボノさん、そして何よりも被災者の皆さん。そういった様々な方々によって成り立っています。

ユニコンメンバーの合流

午後からユニコンメンバーが合流し、3名で作業を行いました。
本当はまだまだやるべきことはあったのですが、また機会があれば作業の続きをしに伺いたいと思いながら、最後の作業を終えました。

お世話になった方々との別れ

最後に、お世話になった方々にご挨拶をし、同じ部署の方々と一緒に写真を撮り、VCをあとにしました。
外は真っ暗です。1週間VCと宿泊所を繋いだ自転車を軽トラに乗せて、一週間の記憶が残る鋸南町を離れました。

1週間お世話になった同じ部署の方々と

(つづきます)

滞在最終日

2019年10月7日(日)。

鋸南町災害VCでの運営支援サポートも、7日目のこの日で自分の滞在も最終日になりました。
多数のスタッフが早朝に集合し、連絡事項等の伝達後、各パートにて業務が始まります。

被災者の生の声

災害VCスタッフとして被災者の方々にお電話をさせていただく機会も多いのですが、お電話口で状況を伺うと、本当に深刻な状態であることを知ることができます。

高齢者の被災者の方々も大変多く、息子さんや娘さんにご連絡を差し上げることも多いです。ご子息の方々の家屋も被災された上に、被災された親御さんのご自宅の処理もしなければならない過酷な状況を訴えて来られた方もおられました。体力的にも精神的にも限界に近い状態であることが電話口からも伺えました。

それでも、訪問されたボランティアの方々や、VCでご相談を受けるスタッフ、自分たちのようにお電話口で話されることで、救いになっているとおっしゃる方も複数おられました。自分たちの作業が、被災した家屋の処理に力を注いでおられる住民の方々の支えに少しでもなっているようでしたら、スタッフとしてとても嬉しく思います。

学び

反省点も山ほどあります。でも、自分の行ってきたことが被災者の方々の支援の一助となっていたら幸いです。
一週間という短い期間ではありましたが、鋸南町の災害VCでの体験を通して学んだことは計り知れないです。

(つづきます)

1週間お世話になった担当部署