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理事長を務めております三城です。

令和元年、度重なる台風などの自然災害により亡くなられました方々に哀悼の意を示し、新年の賀詞は控えさせていただきたいと思います。そして、多くの地域の皆さまにとって希望の兆しを見いだせる2020年になる事を心から願っています。

チーム・ユニコンは昨年5月に設立登記をし、12月に事業初年度を終了いたしました。多くの会員・サポーターの皆さまの支えのお陰で、充実した活動を進めることが出来ました。本当に心から感謝申し上げます。

2年目となる今年、さらに有意義な活動を行えるようにとの思いから、松の内あけ間もない9日より、活動の原点である気仙沼市本吉に向かいました。

道中、福島を走っていると、東北道下り線の前方にクッキリとした虹が掛かっています。虹の下をくぐれるものかとワクワクしながら虹に向かって走っていきました。徐々に虹が近づいてきます。そしてついに…

どんな感じだったかは、またいずれかの機会にこのブログコーナーに投稿したいと思いますが、50年近く生きて来てはじめて見る光景に、2020年に対する期待は膨らみました。

気仙沼での理事会の様子はひでぽんのブログにすでにポストされているので割愛しますが、あれから9年、あっという間であったようにも思いますが、来し方を振り返るとやはりそれなりの時間の経過であったのだなとは思います。

翌10日、当時本吉の災害VCのスタッフとして奮闘していた社協の方々と杯を交わしたのですが、そのスタッフの一人は数時間後の夜中3時に高校受験に向かう息子を盛岡にまで車で送らなければならないとの事で、ウーロン茶で乾杯をしました。その息子さんは当時、幼稚園でした。やはり確実に時は流れているようです。でも、あの災害は『過去のこと』ではなく、現在の自分達に『つながって進行していること』であることも、みんなと酒を酌み交わしていると実感します。

気仙沼では月命日の11日には、毎月、行方不明者の手掛かり捜索が行われています。ただ1月の捜索はなく2月から再開されるとの事だったので、気仙沼を発ち丸森に向かいました。丸森では9日からボランティア活動が再開されています。未だ活動継続しているVCでも、多くが週末のみに作業を縮小していくなか、毎日活動を続けていくという方針を打ち出しました。実は、丸森町に入ったボランティアの延べ人数は、長野市のそれと比べると4分の1の規模という現実があります。まだまだ、手の行き届いていない地域というのが残っているということを実感しました。

12日には、真備から長野に拠点を移し活動しているパパラのボラ宿に入りました。真備にも集まっていたメンバーがそこには集まっていました。西は熊本から東は千葉まで。ここにも『つながって進行している』仲間がいました。

長野市赤沼にあるこのボラ宿は、りんご農家さんの旧家を改装して利用させてもらっています。この新年会の会場となっている食堂は三和土の土間です。きっと普通だったら底冷えする場所なのでしょうが、お酒の所為か、みんなでつついた鍋のおかげか、全く寒さ感じず、ほっこりと一夜を過ごすことが出来ました。

 

夜が明けて、宿として利用している旧家の横にある母屋の骨磨きをしました。真備で1年以上パパラが続けてきたメソッドがここでも生きています。作業の様子は日々➢コチラのブログにアップされているので、是非ご覧になってください。

この日は、1013で千曲川の決壊によって亡くなられた方々の月命日でした。12時に町内放送が流れ全員で黙とうを捧げました。

令和元年台風被害は元年で一段落ではない。引き続き今年も、関わり、つながっていくと決意を新たにしました。今回はユニコンの活動という形ではなく、個人として回ってきましたが、今回見て、聞いて、感じたことを今年のユニコンのイベントに生かして参りますので、是非皆さんにご参加いただきたいと思います。宜しくお願いいたします。