3月10日の気仙沼市での一斉捜索に続き、3月11日には三城理事長のチームが宮城県山元町で復興ボランティアに参加しました。
自分は残念ながら参加できなかったため、三城理事長からのレポートをもとに活動内容を報告したいと思います。

3月10日の活動を終えた三城理事長のチームは気仙沼に宿泊、翌3月11日は6:45に気仙沼を出発し南下、活動を行った山元町のボランティアセンターには8:45に到着しました。

山元町は、2月13日に発生した福島県沖地震で再び大きな被害を受けており、その復旧作業が進められています。
今回の活動では、Aさん宅での崩壊したブロック塀の撤去・運搬、Bさん宅での崩落した屋根瓦の撤去・運搬、Cさん宅での倒壊した壁の鉄格子の撤去・運搬作業を行いました。
現場へは軽ダンプで移動し、手作業で積み込みます。なかなかの重労働。。。

お昼には、春の名物ホッキ飯を堪能しました。

なお、当日のボランティアのニーズ残は14件、とはいえ、これで全てのニーズがカバーされているとは考えにくいため、これからニーズの掘り起こしを行うとのことでした。見たところ、被害の大きなお宅からニーズが上がっていないようなので、そのようなところからの掘り起こしが必要だそうです。被害の大きなお宅での生活は大変と思いますので、うまく掘り起こしができればと思います。
レギュラーで山元町に入っているPBV(ピースボート災害支援センター)のメンバーとも話をしてみましたが、程度的に簡易な手当では不十分な案件がかなり多いので、行政と連携してどの程度の案件にどの規模の支援をするか早々に決めるべきと考えているそうです。
支援が必要な大きな被害に対するニーズを掘り起こすこと、というのは、どのような被災地でも必ず出てくる問題だと感じますし、非常に解決が難しい問題だと感じます。今回の地震が激甚災害に指定されなかったこともあり、さらに難しいものとなっているように感じます。

活動中、14:46にあわせて、避難丘を持つ花釜防災公園を訪れたそうです。このような防災公園は、東日本大震災後、山元町に3カ所建設され、津波襲来時の沿岸部利用者の一時避難場所として築山(避難丘)も建設されたそうです。
避難丘からは、防潮堤の向こうに太平洋が臨めます。この日の海はとても穏やかに見えますが、写真でとはいえ、このような光景を見ると、いろいろな気持ちがこみ上げてきます。
 

防潮堤の陸側では、海岸防災林の再生が進んでいるようです。
この防潮林の歴史を紐解くと仙台藩祖伊達政宗公の時代にまで遡るようで、政宗公が慶長5年(西暦1600年)に造成を指示したのが最初のようです。
その後、この防災林は、高潮、飛砂、潮風害、塩害といった、いろいろな被害から農地や住宅地を守ってくれていたそうです。
そんな中、この防災林は、東日本大震災の大津波に対しても、津波エネルギーを小さくしてくれたり、漂流物を捕まえて更なる被害から守ってくれたり、内陸への津波の到達時間を遅らせてくれたり、いろんな役目を果たしてくれたそうです。

その防災林も、そのような貢献と引き換えに大津波で壊滅的な被害を受けてしまったようですが、様々な検討を受けて、今、再生に向けて動いているようです。
防災林の機能としてもそうですが、ずっとそこに防災林があった光景が、震災前のように戻ってくるといいなと思います。

いろいろ盛りだくさんの2日間でしたが、三城理事長のチームはこんな感じで2日間の活動を終えたそうです。

あの日から10年が経ちましたが、とはいえ、いまだ、必ずしも復興しきれたとは言えない状況と感じますし、まだまだ我々ができることも多くあるように感じました。
コロナ禍の中で難しい部分もありますが、チーム・ユニコンとしても引き続き、できることを無理なく出来る範囲での支援を続けていきたいと思います。

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