昨日も大きな地震がありました。被害ができるだけ小さいよう、お祈りいたします。。。
あの日から10年が経ってもまだまだ大きな余震が起きるということを考えても、いかに日頃の備えが大事か、ということを感じます。
これを機会に、我が家の備えについてももう一度考えてみたいと思います。

さて、3月10日に気仙沼市で実施された、東日本大震災に係る行方不明者の手がかり捜索に、三城理事長のチームが参加しました。捜索には、PCR検査の実施を含め、しっかりと感染対策をした上で参加しています。
自分もすごく参加したかったのですが、残念ながら本業の都合で参加できなかったため、三城理事長のレポートをもとに活動内容を報告したいと思います。
https://www.kesennuma.miyagi.jp/sec/s002/020/030/050/020/090/12/20210301kikikanrika.pdf

今回捜索を行ったのは、気仙沼市本吉町の小泉海岸〜登米沢海岸にかけてのエリアです。
この捜索に参加したのは、警察約30名、海上保安署約30名、ボランティア約30名の計90名、チーム・ユニコンからも2名が参加しました。
(以下、一部の写真は(一社)気仙沼復興協会さんのFacebookより許可を得て転載させて頂きました。ありがとうございます!)

作業実施にあたり、感染症対策として、検温、手指消毒を実施しています。

朝礼では、菅原気仙沼市長からの挨拶がありました。が、当日はかなりの強風のため、残念ながらあまりよく聞こえなかったようです。。。

朝礼が終わったら、早速捜索活動開始です。

今回は感染症対策の面もあり、午前中のみと短い時間での活動でしたが、人のものかわからないいくつかの骨片、時計、衣服などの、行方不明者の手がかりとなりうる可能性のあるものを見つけることができました。
気仙沼市では、2月時点で未だ214名の方の行方がわかっておらず、このような活動を通じて少しでも手がかりが見つかればと思います。
 
 
(下段の2枚は、チーム・ユニコンからの参加者の作業風景です。)

小泉海岸には、震災後、何度もボランティアに入っているのですが、今では防潮堤もできて立派に整備されています。随分景色も変わり、10年の時間の流れを感じます。

作業の後、10年前に作業した津屋川のあたりに行ってみました。10年で随分景色が変わりました。
大きな変化としては、防潮堤で海が見えなくなってしまったことが挙げられます。津波から街を守るためには仕方ないのでしょうが、なんだか複雑な気持ちになります。

(左が10年前、右が現在)

その後、2年間チーム・ユニコンの監事を務めて頂いた芳賀さんのお宅に、2年間の御礼に伺いました。2年間、本当にありがとうございました。
お渡しした糖焼酎は、Got My Dice(がまだす、は、熊本弁でがんばるの意味。NPO法人Make Happyさんが熊本への支援のために販売した奄美黒糖焼酎)です。
東北のみならず、全国の被災地に支援の輪が広がると良いなと思います。

お昼は大谷海岸の道の駅で。今はまだ仮設店舗での営業ですが、3/28にリニューアルしてオープンします!
気仙沼に通っていたころは、何度も伺いました。次に気仙沼に訪れた際には是非新しい店舗に伺いたいです!
https://kesennuma-kanko.jp/ooyakaigan_open/

お昼の後、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館に伺い、(一社)気仙沼復興協会さんの皆さんにご挨拶。
チーム・ユニオンで活動していた頃からのご縁が繋がっているのは嬉しいものです。

最後に、14時から気仙沼市社会福祉協議会様にて、NPO法人MAKE HAPPYさんと連携を取りながら製作している医療用ガウンと、東北大学と連携して製作しているフェイスガードの寄贈式を行いました。先方からは、熊谷直恵常務、在宅福祉サービス課 芦立吉人課長にご出席頂き、感謝状も頂きました。
我々の作った医療用ガウン・フェイスガードが気仙沼市でも活用して頂けると嬉しいなと思います。

3月10日の活動報告は以上です。なかなか盛りだくさんな一日でした。
3月11日の活動報告は、また別途アップします!

 

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