3.11から10年が経ちました。長かったような、あっという間だったような。
今日、14:46に黙祷しながら、いろいろなことを思い出していました。ちょっと長文になりますが、この10年を振り返ってみたいと思いますので、よろしければお付き合い頂ければと思います。
チーム・ユニコンの前身であるチーム・ユニオンが立ち上がったのが東日本大震災の直後。自分も立ち上げの直後から参加させて頂いています。
三城理事長と出会ったのもこの時でした。思えば長い付き合いになっています。
当時は本吉町のボランティアセンターで活動していました。初めて現地に行った時に見た、津波のすさまじい威力を感じさせるあの光景は忘れることができません。
一日の活動が終わってから、気仙沼市内の被害状況を見に行ったこともありました。
本震から何ヶ月も経っているのにまだ水浸しな状況や、打ち上げられた第18共徳丸(既に解体されましたが)を見て、復旧への道のりの長さを感じました(写真は真っ暗ですが、当時は日没後は灯りが全く無いような状況でした)。
当時は、ボランティアセンターになっていた本吉町のはまなすホールの裏にテントを張って宿泊していました。
活動が終わって、ビールや気仙沼のお酒を飲みながらのバーベキューは楽しかったです。
そして、自衛隊さんが仮設テント内に設置してくれたお風呂が何よりのごちそうだったことを覚えています。
(そして、毎夜毎夜ブヨに噛まれまくっていたのも覚えています。)
この頃から、自分は仕事先で貰った赤いツナギを着て作業をしていました。これがこのブログの名前の由来だったりします。
震災から1年後の3.11にも気仙沼を訪れました。現地の光景を見ながら、改めて復興への道のりの長さを感じました。
そして、この日、気仙沼湾に捧げられた花束を見て、喪われたものの大きさをとても強く感じました。
1年後のこの日、1年前に被災地に襲いかかった海は、信じられなくらい穏やかでした。
震災以降、この日の光景が、自分にとって一番忘れられないものかもしれません。。。
でも、同時に復興商店街ができてきたりして、復興への確かな歩みも感じることが出来ました。
この後も、気仙沼では、気仙沼復興協会さんで継続的に活動させて頂きました。
海岸の清掃をしたり、
土管の中のヘドロを掘ったり、
餅つきをしたり(理事長がかえしをしてますね)。
その後も、全国のいろいろな場所で災害が起き、そのたびにチーム・ユニオン、チーム・ユニコンは様々な場所で活動しましたが、やはり3.11が活動の原点だったと思います。
そんな10年後の今日、三城理事長のチームが東北で活動していました。事前のPCR検査の実施を含め、しっかり感染対策をした上で、現地に行けなかった我々の想いも届けてくれていると思います。
レポートは後日アップしますが、きっと、今の現地の様子もお伝えできるかと思います。
自分は、学生時代を含め、何かと東北・宮城に縁があり、3.11の後、お世話になった土地に対して自分にも何か出来ることはないだろうか、と言うことを思っていた時に、チーム・ユニオンに出会いました。その時から、「無理なく自分にできることを!」という形で活動を続けてくることができました。
自分も何かしたいけどどうしたらいいんだろう、自由な時間がないけど何かできないだろうか、ということを思っていらっしゃる方も多いと思います。そんな方々と一緒に、これからも無理なく息長く継続した活動を、チーム・ユニコンを通じてやっていければいいなと思っています。
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