2025年7月18日~20日の活動報告@七尾

活動場所: 石川県七尾市 民間災害ボランティアセンター「おらっちゃ七尾」

記載者: 理事 深澤慎也

今回は個人としては実に1年ぶりの災害ボランティア活動である。活動先の七尾市の状況は1年前とだいぶ違うということで、ユニコンのメンバーである大先輩にお世話になりながら、自分自身の感覚を取り戻す旅となった。

今回、我々が活動の拠点としたのは、民間災害ボランティアセンター「おらっちゃ七尾」。「おらっちゃ」とは、能登の方言で「私たちの」という意味。その名の通り、被災した方々のすぐ隣で、一人ひとりの「困った」に寄り添う活動を行っている。


07月18日(金)

14:00すぎに都内を発つ。

趣味の登山でロングドライブは慣れているとはいえ、東京から七尾市まではおよそ480km。途中しっかり休憩を取りつつ、21:40に宿泊場所である美湾荘に到着。美湾荘も被災しており、まだ復旧の最中。それでもスタッフのおもてなしは大変暖かく、大浴場はとても気持ちの良い温泉であった。


07月19日(土)

活動初日。夏休みが始まったこともあり、「おらっちゃ七尾」には116名ものボランティアが集結していた。全国から集まった仲間の姿に、大きな勇気をもらった。

朝のマッチング(ボランティアにお仕事を割り振る作業)を経て、我々は10人のチームで、和倉町のお宅にて、公費解体前の部屋の家財の片付けを担当する事となった。地震の爪痕は生々しく、天井は崩れ落ち、床は腐食している状態であった。

震災から一年以上経ったが、まだこの状態である。

黙々と片付けるが、この日は灼熱の暑さで陽射しもとても強く、20分作業して、10分の休憩というペースで作業をする。

途中各自でこまめに休憩を取り、水分補給をしながらの作業。そんな中でも、みなさん自ら仕事を見つけ、黙々と汗を流す。活動の合間に見た、青い空と、照りつける太陽の下で鮮やかに干される梅干し。厳しい現実の中にも、地域の暮らしが続いていることを実感する光景であった。

個人的には空冷服の必要性を痛感。

大先輩は空冷服を身につけ、終始元気に指揮を振るう。作業後半は空冷服のバッテリーが切れ、辛そうであったが、そこからの踏ん張りは流石であった。能登で支援活動が40回を超えるキャリアは伊達ではない。

片付けは1日掛けて完了。みんな自分の役割を自分で見つけて動く、オトナなチームであった。

作業後の部屋の様子。みんなで力を合わせてここまで綺麗に!


07月20日(日)

この日も暑い。朝8時すぎから熱中症アラートが鳴り響く。そしてこの日は参議院選挙の投票日。石崎のコミュニティセンターの投票所には朝から多くの人が訪れていた。これが被災してから2度目の国政選挙であった。

この日「おらっちゃ七尾」には60人余りのボランティアが集まっていた。

朝のマッチングにて、我々は19人のチーム編成に。

活動場所は湊町の漁業組合の大きな建物。

公費解体の期日が迫り、建物内を綺麗に片づけなくてはならない。

27人の大所帯の活動ながら先輩の指揮の下、かなり一体感があり、暑さにも負けず、作業は順調に進む。

午前中は2チームに分かれ、ひとチームは私がリーダーを担当し、建物の2階の事務所の仕分け、搬出。

もうひとチームは先輩がリーダーとなり、大量の記念品の茶碗の処分が中心。この数およそ4000個くらい‥


午後は、他の場所で作業をしていたガテン系の9名も加わり、1階部分の家財を一気に搬出した。一部作業が残り、明日以降のボランティアさんに継続案件として託すこととなった。

作業終了後、先輩お勧めの「能登ミルク」でソフトクリームに舌鼓をうつ。夜は美湾荘内の居酒屋で先輩と打ち上げ。現地で食べる能登のお刺身と日本酒「宗玄」はいっそう美味であった。


現在「おらっちゃ七尾」には公費解体前の駆け込み需要で250件を超えるニーズが届いているという。

しかしながらこの猛暑でボランティアの数は足りておらず、一人が1日で行える作業量にも制限もある。

発災から1年半が経過しましたが、復興はまだ道半ば。この震災を風化させず、継続的な支援を届けることの重要性を改めて痛感した旅であった。

皆様の支援が力に!!

今回の活動で拠点とさせていただいた「おらっちゃ七尾」は、行政の手の届きにくい、細やかなニーズを拾い上げ、住民に寄り添い続ける活動をしています。その「おらっちゃ七尾」が、活動を継続していくためのクラウドファンディングを開始している。

現地でのボランティア活動が難しい方もこうした形で現地の活動を支えることができるので、広く様々な方々に応援して頂ける事を願っている。

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